メッセージ(大谷孝志師)

救世主の誕生
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年12月23日
ルカ2:8-20 「救世主の誕生」  大谷孝志牧師

 今日はクリスマスです。どの教会でも12月25日の前の聖日にクリスマス礼拝を守ります。でも、主イエスの誕生日が12月25日とは聖書のどこにも書かれていません。ですから、クリスマスは主の誕生をお祝いする日です。

 主はベツレヘムというダビデの町で生まれました。それは、父親になるヨセフが将来イスラエルを救う方が現れると預言されていたダビデ家の血筋だったからです。それで先程お読み頂いた聖句のように、主の使いが「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」と羊飼い達に告げたのです。しかし「あなたがた」は彼らのことだけではありません。救い主は彼らの為だけに生まれたのではありません。御使いが「この民全体に与えられる、大きな喜び」と言った「民」は神の民です。主は、ユダヤ人だけでなく、全ての人を神の民とする為に生まれ、十字架に掛かって死に、復活し、全ての人が神となる道を開いたのです。主イエスの誕生は私達にも与えられる大きな喜びなのです。だからお祝いします。

 御使いが、救い主が既に生まれたと告げたように、人が神の民となる道は開かれています。だから私達はクリスマスをお祝いしています。しかし世の多くの人々は、クリスマスパーティやクリスマス会はしていても、教会には来ません。御使いは羊の群れの夜番をしていた羊飼い達の所に夜に来たことが、その理由を示しています。彼らは闇の中にいました。その彼らを主の栄光が照らしました。これは世の人の状態を表しているのです。彼らは主の栄光に照らされ、闇から光の世界に移されました。私も16歳の時、初めて教会の燭火礼拝に出ました。蝋燭の光に照らされた母の友人の顔の輝きに暖かく豊かなものを感じました。その週の年末祈祷会に先輩に誘われて出席しました。そこに光は見えなかったけれど、祈る人々の姿に清さを感じ、圧倒されました。そして礼拝に真面目に出席するようになったのです。羊飼い達は、主の栄光に照らされ、神の臨在を知り、恐れました。しかし、私は恐れを感じませんでした。むしろ優しさと暖かさを感じたのです。主イエスの十字架の血によって、人は罪の汚れを取り去られ、神と共に生きられるようになっているからです。私は主イエスを救い主と信じていませんでした。しかし、主イエスはそんな私を優しく包み込み、教会の群れに招き入れて下さったのです。神の豊かな恵みに感謝です。

 主イエスの誕生は、神が人となって世に来たので、羊飼い達にとっては非常に恐ろしいことでした。しかしそれを大きな喜びと御使いは告げたのは、神の全ての人を救う計画が実行され、イエスが救い主として生まれたことにより、この世が闇の世界から光の世界に変えられたからなのです。

 しかし羊飼い達にとってその喜びの知らせは簡単に信じられるものではありませんでした。救い主は飼い葉桶の中に寝ている嬰児だったからです。 御使いの知らせを聞き、大きな喜びに溢れた羊飼い達ですが、それが彼らに与えられた救い主誕生のしるし、神が彼らに臨在するしるしでした。王でも将軍でもなく、無力なおむつが必要な赤ちゃんだったのです。信仰を必要とするしるしでした。自分が持つ常識を覆させられる知らせでした。だから、神は御使いと一緒に天の軍勢を彼らに遣わし、その不思議なしるしが事実だと知らせたのです。私達にもそのような奇跡は起きたのです。信じられない救い主誕生を事実と確信する時が与えられたからです。感謝。

 御使い達が羊飼い達から離れると、彼らは話し合いました。野宿しながら羊の群れの番をしていた彼らには責任がありました。それに夜の移動は危険だったからです。しかし、彼らは相談し、ベツレヘムまで行く決断をしました。それ程、その出来事を見届けたいとの気持ちが強かったのです。それが「急いでいって」に表れていますし、「捜し当てた」にその熱心さが表れています。彼らは幼子の様子が全て御使いが告げた通りだったので、人々に御使いの言葉を告げました。人々が驚いたのは、その内容だけでなく、御使いが羊飼い達に救い主誕生を知らせたからです。彼らは社会的地位は高くなく、経済的にも豊かではありません。救い主が飼い葉桶に寝ている嬰児だったことと合わせて、これは信じるしかない驚くべき事でした。

 私達が信じ、伝えている福音も世の人達にすれば驚くべき事なのです。イエスはユダヤ人、しかも同じユダヤ人に捕らえられ、ローマ人によって十字架に付けて殺された人です。死んだのに、十字架で付けられた傷痕そのままの体で三日目に復活しました。主は、霊の体に復活したので、突然現れたり、消えたりします。更に驚くべき事には、弟子達の目の前で天に昇り、彼らの目に見えなくなったのです。そう伝えても、世の人達は決して信じようとはしません。しかし、飼い葉桶の中に寝ている嬰児が全ての救い主であるのは確かな事実です。だからこそ、主の栄光が羊飼い達を照らし、天の軍勢が現れて神を賛美する出来事が起きたのです。全ての人が信じる者となる為に神が遣わしたのです。同じ事が私達に起きてはいません。しかし私達はそのイエスを、全ての人の主、救い主と信じ、求めています。私達の内に驚くべき変化が起きたからです。その事を心にしっかり留めていましょう。主が、私達が闇の中にいることを知らせ、主が私達を照らし、私達にご自分が何者であるかを知らせて下さり、そのイエスを信じ、求めているからです。二千年前の出来事が私達の内にも起きたのです。

 マリアは羊飼い達の話を聞き、全て心に納めて、思い巡らしたとあります。暦の上では元日が一年の初めの日ですが、教会暦では、クリスマスが一年の初めの日です。私達の救いの為に起きた主イエスの誕生の出来事をマリアのように静かに心に納めて、思い巡らし、この出来事の自分にとっての意味を深く考えましょう。そして新しい一年を踏み出しましょう。自分の心の中にも生まれた主イエスと共に、喜んで日々を過ごしましょう。