メッセージ(大谷孝志師)
主が共にいると知る喜び
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年1月6日
コロサイ2:1-12 「主が共にいると知る喜び」 牧師 大谷 孝志

 パウロは決して順調な伝道生活を送っていたわけではありません。苦闘しながら努力をしています。神様の為に働くということは大変なことなのです。サタンが様々な手段を使って妨害するからです。パウロは人々が、「心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解を持って豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるため」に働いていたのですが、それをサタンは邪魔をしていました。だから彼は一生懸命にこの素晴らしい知らせ、福音を人々に伝えようとサタンの妨害に負けずに戦い続けていました。でも、彼にできたのは彼が優秀だったからでも、知識が豊富、人生経験が豊かだったからでもありません。主イエス様に捉えられ、イエス様を知っていたからです。私達は一生懸命に福音を伝えようと思っても、世の人々に分かって貰えず、悲しい思いをします。また、教会の中でもイエス様を信じているのに、何でこんな事を言ったり、したりするんだろうと悲しい思いをすることもあります。何故でしょう。それは全ての知恵と知識の宝がキリストの内にあるのですが、全て隠されているからです。

 コロサイの教会の中にも、まことしやかな議論によって他の信徒達を惑わす人々がいたようです。キリストの内に隠されているので、なかなか見つけられずに、自分勝手に解釈してしまう人がいるからです。パウロは世の人々に幸せになって欲しいのです。それは主イエスを信じて生きることがどんなに幸せかを知っているからです。彼は、最初はイエスは救い主でも何でもないと思っていました。彼の目に隠されていたからです。しかしイエス様に出会い、彼の目から鱗のようなものが落ち、見えるようになったと使徒の働きに記されています。肉体的にも霊的にも見えるようになったのです。しかし、まだまだイエス様を信じられない人達が大勢いました。彼らと自分のギャップは自分にはどうにもならないものでした。でも、彼はそれを乗り越えて、人々に福音を伝え続けました。それは何故でしょうか。それは、彼のうちにくキリストの力が力強く働いていたからです。人の力では到底不可能です、でも、主が自分の内に働く時、確かに労苦はあります。しかし彼は、労苦に負けず、労苦しながらも奮闘することができたのです。

 私達もこの教会の周囲の人々が救われるよう、隠されている主の素晴らしさを見つけ出せるよう願いつつ、伝道しています。でも、私達自身がキリストが共にいることを本当に知っているでしょうか。私達はその喜びに満たされているでしょうか。イエス様が共にいると信じていても、それが喜びになっているでしょうか。私達は全ての支配と権威の頭である方を信じているのです。その重さをどれ程自分の心と体で受け止めているでしょうた。パウロがこう勧めるのは、彼自身が弱さを強く味わったからです。だから、自分達は主が共にいることを心に深く刻ませようとするのです。私達は救われた自分であることを心に刻みましょう。私達は主イエス様を本当に知って、喜んで信仰告白をしてバプテスマを受けたのです。古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着たのです。私達は主が共にいることを知る喜びを深く味わったのです。主は私達と共にいて下さいます。その主にしっかりと目を注ぎましょう。私達の心が喜びで一杯になっていきます。私達の喜びが溢れ滲み出す時、人々にイエス様を知る喜びが伝わっていきます。パウロの手紙にはその喜びが満ち溢れています。だから、私達も努力しなければと思わされます。教会と私達の信仰が豊かに成長する為にこの喜びを大切にしていきましょう。