メッセージ(大谷孝志師)

福音の真理を伝える為に
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2019年2月3日
ガラテヤ2:1-10 「福音の真理を伝える為に」  大谷孝志牧師

 ガラテヤはアナトリア半島、今のトルコ共和国の北部地方です。エルサレムから遠く離れたこの地にもパウロによって福音が伝えられ、幾つかの教会が誕生しました。これらの教会は異邦人キリスト者が多数を占める諸教会でした。この手紙を書いたパウロは、ユダヤ人ではない人々に福音を伝える為に主に選ばれました。彼は使徒16:31に有るように「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と伝えました。「主イエスを信じるなら、誰でも救われる。これが、彼の伝えた福音でした。しかし、律法を守ることによって救われると信じていたユダヤ人は、パウロの「信じるだけで救われる」だけでは不十分で、それでは神に喜ばれないと考え、伝道を妨害し続けていました。その中で彼は懸命に伝道し、それによってこの地方を始め、多くの教会が誕生しました。しかし主イエスを信じていても、古いユダヤ教から自由になれない多くの人々がエルサレム教会にいました。そこから派遣された人々が、律法をきちんと守らなくては神に喜ばれないと誕生したばかりの教会に来て教えたので、混乱する教会があったのです。これは主イエスを信じる信仰によって人々を救うという神の御心と違います。ですから神はパウロをエルサレム教会に行かせ、彼が異邦人の間で伝えていた福音をこの教会の主だった人々に示させ、彼の宣教活動をイエス・キリストの権威を継承している人々が認めることによって、諸教会にその正当性を示させたようとしたのです。こうして彼はエルサレム教会に来たのです。

 「忍び込んだ偽兄弟達」とありますが、彼らは、エルサレム教会の古いユダヤ教の伝統を保持しようとし、律法を守らなければ救われないと強く主張した人々です。異邦人伝道をしている彼にとって、その人々の影響力は強大でした。しかしパウロは、彼らから自分達の宣教方針を曲げるよう迫られなかったと言います。彼は、彼らに一歩も譲歩したり、屈服しなかったのです。負けなかったのです。彼は信じていました。人が律法を完全に守れず、人の知恵と力に頼り、神から離れていたから、その人々を救う為に、神が御子イエス・キリストを遣わし、十字架の血によって罪を贖い、主イエスを信じる信仰によって救われる道を、全ての人の為に開いたと。彼は、この福音を堅く持って、神のみ業を妨害しようとする人々と徹底的に戦ったのです。エルサレム教会の中心的人々も、彼のそのような言動から、神が彼に託したことの重さを感じ取り、彼の主張に何も加えなかったのです。私達も自分が信じた福音をしっかり保持しましょう。主が私達の為に何をしたかを第一にし、御心に何も加えずに、ただ主の為、世の人々の為に働く者となりましょう。

 パウロが「走ってきた」と言うのは、今まで福音を伝える為に全力を尽くしてきたことの表現です。それがこれままだと無駄になってしまうのです。彼の福音は1:12に有るように「ただイエス・キリストの啓示によって受けた」ものです。彼もその正しさを説明してきました。世の人々は、福音の真実性は、権威ある人の信用性によって保証されると考えてしまうからなのです。

 彼が啓示によって上ったと言うように、神は彼と共にいて、御霊によって常に導きました。世の人々を主イエスを信じる信仰によって救う為に彼を助け、道を整えたのです。しかし、パウロも人間、聞くのも人間なのです。伝道は神の業ですが、人を用いて行われるものです。ですから彼は、自分の正しさの保証をエルサレム教会の主だった人々に求めたのです。彼が伝えた福音が正しい事を彼らが認めることで、聞く人々に安心感を与えられると考え、彼がその為に懸命に心を砕いていることが、今日の箇所から推察できます。

 私達の伝道、教会の成長にも同じことが言えます。伝道も教会形成も個人の働きによって行われます。しかし、伝道だけを見ても大変難しいです。パウロは力強く伝道しました。でも私達は弱いので、時に壁に阻まれ、どうしたらよいか分からなってしまう時があります。パウロの伝道によりどうして多くの教会が誕生したのでしょうか。彼が、異邦人も主イエスを信じるなら救われるとの信仰を伝えたからです。それだけではありません。彼が異邦人が救われるよう熱心に願い、困難に負けずに働き掛け続けたからです。自分が伝えた福音の正しさを人々に分かりやすく納得してもらえるように、その保証をエルサレム教会から与えられる為に、最大限の努力をしたのです。勿論、御霊の助けがあったからですが、彼の情熱と熱心さは見習うべきです。私達も自分達が信じる福音が本当に良いと思っているなら、主イエス以外に救い主はいないと信じるなら、その良さと信仰を世の人々に知ってもらえるよう、尻込みせずに、大胆に働き掛け続けましょう。伝道は神がするもので、私達はそのお手伝いをするに過ぎません。でも、世の人々にとって、福音が真理だと知るのは、私達の働きを通してです。福音は人を通して伝えられてきたし、これからもそうなのです。そして、懸命に伝道する私達に、御霊が勇気と確信が与え、直面する壁を乗り越える力を与えてくれるのです。

 エルサレム教会のペテロ達に、パウロが自分の信仰と実績を伝え、彼らにエルサレム教会の働きの一つと認められたことも、私達が学ぶべき点です。伝道は個人によって行われるものです。でも。教会全体が責任を負い合うことによって行われるものでもあります。伝道は、人の業であると同時に神の業ですが、更に、教会全体の業でもあるからです。パウロはアンテオキア教会の祈りによって、伝道に送り出されました。私達も伝道したいと思って人に働き掛ける時、この教会の一員としてしていると意識しましょう。また、他の人が家族や友人に福音を伝えたいと願っているのを知ったら、自分には出来ない相手に伝道していると感謝し、その働きを覚え、祈りましょう。主は、一人一人に福音を伝える為の相手、実りをもたらす畑を用意しています。

 ペテロ達もパウロに与えられた恵みを認め、伝道の対象は違うが、共に主のみ業を行っている者同士と確認し合いました。伝道は個人の働きですが、教会全体の働きの一つ一つなのです。人々の救いの為に熱心に心を砕き、実行したパウロに学びましょう。3月3日の「教会のビジョンを語る会」でも、教会が成長する為に、どうしたら御心に応え、世の人々に福音を伝えられるかを語り合い、励まし合い、主にある交わりを深めていけたらと思います。