メッセージ(大谷孝志師)
答えの前に私はいる
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年2月3日
ヨハネ14:5-14 「答えの前に私はいる」 牧師 大谷 孝志

人は将来が分からず、想像するしかないから、思いもかけない事に直面すると動揺します。だから将来の事を知りたいと占いに頼る人もいます。しかし、もし自分が死ぬ日を知ったら、その人はこの世でする事に何の意味も見出せなくなり、生きる希望を失うのではないでしょうか。人は分からないから未来を夢見ることができます。そして希望をもって現在を頑張れるのではないでしょうか。しかし、主はここでも、確実な事として将来起きる事を語ります。ペテロは13:37で「あなたのためなら、いのちも捨てます」と言いました。彼がどこまで本気でそう考えていたかは分かりません。でも、人は言葉だけなら、先の事は何でも言えるのではないでしょうか。イエスはそのペテロに答えて「わたしのためにいのちを捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」と言いました。そして主の言葉通りに、大祭司の家の中庭で、彼は三度イエスとの関係を否定します。人には分からなくても主は分かるのです。その主が「わたしにとどまりなさい」と繰り返し言います。

 どうしてでしょうか。主はいつも私達を見守っています。私達は主の前にいまず。主の祝福が自分に必要だと思い、主に心を向けようとしています。でも、ペテロのようにその気があっても、主よりも自分の方に心が向きやすいのです。それは、自分のことはよく分かります。自分の強さも弱さも、何が出来て、何が出来ないかも自覚しています。しかし、私達には主の御心は自分を知るようには分からないのです。確かに私も、主のみ言葉が心に響くことを経験することはあります。でも、主が語り掛けたのか、自分の思いなのか、正直言って分かりません。信じるだけなのです。これが御心だろうと推測するしかできないのが私達です。

 さて、主は弟子達に、これから先の事を詳しく教えました。これは主の推測ではありません。御子である主が父なる神から直接示された計画です。これから確実に起きる事です。主は弟子達にご自分が言ったその事が確かだと確信させます。これは私達にとっても非常に大切な事なのです。私達はこの世に生きていて、様々な事に直面し、不安や恐れに囚われることがあります。そんな時、これからどうなるのかが分かったら、これ以上安心なことはありません。主は「わたしを知っているなら、わたしの父も知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」と言います。当然弟子達は「父を見せてください。そうすれば満足します」と主に言いますが、主は「わたしを見た人は、父を見たのです」と答えます。しかし彼らは人である主に躓き、信じられません。だから、主は自分がしているわざのゆえに信じなさいと、彼らに信仰を求めます。

 主は私達にも、聖書の言葉を信じなさい、信じられないなら、わざの故に信じなさい、と信仰を求めています。わざとは何でしょう。教会に起きている事、私達自身の生活の中に起きている事です。私達夫婦は先日、どうして何だろうと考えていた時、主が豊かな祝福を与える為に全てを整え、導いていたと知りました。主は今も生きて働いています。主は見えないし、声も聞こえません。だから信じるしか有りません。だから信じればよいのです。信じるなら将来を確信できます。主イエスは、私達に将来と希望を与える為に、十字架に掛かって死んだのです。そして復活して今も生きて働いています。私達が教会にいる事、キリスト者でいる事、それが何よりの証拠です。私達はいつも主のみ前にいると信じましょう。