メッセージ(大谷孝志師)
私達に真の救いを与える為に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年2月17日
使徒22:1-21 「私達に真の救いを与える為に」 牧師 大谷 孝志

 今晩は、パウロを回心へと導いた主の働き掛けに示された主の深い愛を一緒に学びます。パウロはキリキアのタルソ、アナトリア半島南東部の町で生まれ、エルサレムで育ち、当時有数の律法学者ガマリエルの元で厳しい教育を受けた熱心なユダヤ教徒でした。そして将来ユダヤの指導者と嘱望される青年でした。ここには書いてありませんが、最初の殉教者ステパノの処刑に際して、執行の正しさを見極める立会人の務めも果たしました。その後教会を迫害し、男女を問わず牢に入れ、死にまでも至らせたのです。更に彼は迫害の息を弾ませて、現在のイランの首都となるダマスコに向かったのです。そこに近付いた時、真昼の太陽よりも強い、天からのまばゆいばかりの光が彼の周りを照らしました。復活の主イエスが彼に出会い、彼に語り掛けたのです。主イエスを信じる人は様々な主イエスとの出会いを経験しています。私も心に主イエスの声が響いた経験をしました。しかし彼程明確な声として聞いたのではありません。私は教会に行き始めたばかり、そして教会の人達に失望し、もう教会に行きたくないと思っていた時でした。

 パウロ、この当時はサウロは、自分が信じる神の為の道を突進している最中に、その神が「サウロ、サウロ、何故わたしを迫害するのか」と呼び掛ける声を聞いたのです。彼はユダヤ教徒ですから、唯一の神である主を信じています。その主はアブラハム、イサク、ヤコブの神、自分の民をエジプトから助け出した主です。彼は自分に呼びかけた方が、自分が信じ、従ってきた主であると分かった筈です。それなのに彼は何故か「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねました。彼は自分が主を迫害していたとは考えてもみなかったからです。彼は混乱した中で、今までのユダヤ教徒としての歩みが崩れていくのを感じたのだと思います。主は「わたしは、あなたが迫害しているイエス」とその彼に答え、イエスと名乗りました。

 私達は主イエスを信じ、主を礼拝しています。主への信仰をどう現しているでしょう。何をすれば主に喜ばれると思っているでしょうか。礼拝や集会に出席し、聖書を読み、祈り、他の人に福音を伝え、教会に誘っているかもしれません。しかしこの世と妥協したり、流されていないでしょうか。サウロは素晴らしいユダヤ教徒でした。しかしユダヤ教の信仰では、本当の意味で神に喜ばれる者になれないから、主イエスは世に来て、神の御心を教え、人々が生き方、考え方を変え、本当の意味で神に喜ばれる者となれるよう、十字架に掛かって死なれたのです。しかし人は弱く、罪に支配され易いのを知る神は、主を復活させ、私達を助け、導いています。私達は何故今、礼拝しているのでしょう。礼拝が必要だからです。これ迄の生き方では不十分で変わる必要があるからです。主は私達が正しい信仰の持ち主になるよう呼び掛けています。「わたしはあなたの罪を取り除く為に十字架に掛かって死に、復活し、今共にいてあなたを守り導いているイエスです」と。

 パウロは自分が分からないまま主を傷付けていたと知りました。主は今も十字架の上から、全ての人の救いを願っています。主は全ての人の罪を赦しています。でも私達がそうだったように、人々はその事を知りません。私達もその事を忘れていませんか。主の恵みを感じていても、その恵みを与える為に十字架で血を流した主を忘れていたら、主は私達を嘆いています。主は共にいて私達を見つめています。主はパウロを愛し、語り掛け、変えました。私達も、主のみ声に、私に注がれている主の愛に気付き、御心を心から行い、主に喜ばれる者になりましょう。