メッセージ(大谷孝志師)
言葉や口先だけの愛でなく
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年2月24日
Tヨハネ3:11-18 「言葉や口先だけの愛でなく」 牧師 大谷 孝志

 キリスト教は愛の宗教と呼ばれ、特にこのTヨハネは愛の手紙とも呼ばれます。ギリシア語の愛には、アガペー、フィロス、エロスの三つがあります。アガペーは神の愛、フィロスは兄弟姉妹、友人同士の愛、エロスは人間の欲を実現しようとする愛です。十字架の死を目前にした主イエスは、世に残る弟子達に新しい戒め「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」を与えました。主の愛はアガペーの愛、私達の罪を取り除き、神のものとする為に、自分を捨て、十字架に掛かって死んだように、全てを無条件で相手に与える神の愛です。そして主が私を愛したように、人間同士が愛し合う愛がフィロスの愛で、友愛とも訳されます。 自分を愛するように友を愛するのですが、人間ですので、どうしても自分が大事なります。ですから、いつも主の模範に倣いながら愛するという自分を制御することが必要になります。その制御なしに相手や自分を愛し、自分の思いや願いを実現しようとする愛がエロスの愛になります。

 ヨハネは兄弟を愛さない例に、最初の殺人事件を起こしたカインを挙げます。彼はアダムとエバの子で、献げ物をする心の内を神に見抜かれたカインが、弟アベルを憎み、打ち殺してしまったのです。彼は、自分について反省せず、自分を正当化する為に、相手が悪いと責め、抹殺してしまったのです。彼は弟を愛していなかったのです。ヨハネは愛がない恐ろしさを私達に教えています。神は、私達に愛の大切さを教える為に御子を世に与えました。そして御子イエスが、愛とはどうすることかを、十字架への道を歩み、十字架に掛かって死ぬことによって私達に教えたのです。歴史を振り返るとキリスト者は世から憎まれ、迫害され、殺された者は夥しい数になります。しかしヨハネは驚くことはないと言います。

 主を信じる者にとって一番大切なのは、主と共に生きることであり、主に愛されていることなのです。私達は主が私達の為に命を捨てられたこと、復活して今、共に生きていると知っています。ですから、世の人が私達をどう扱おうと気にする必要はないのです。互いに愛し合い、神に愛されていると信じていれば、何も恐れるものはないからです。しかしヨハネは何故このように愛し合うことの大切さを強調したのでしょうか。この世の生活の中で色々と戦いがあり、挫折や落胆があり、信仰が弱くなって、悪の力に隙を与えてしまうからです。だからヨハネは、「ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう」と言います。心を主に向けていることは大事です。でもその信仰を自分にも相手にも見えるかたちにすることが大事なのです。信仰の実践によって私達は強められるからです。

 ヨハネは「私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです」と言います。自分に執着してはいけないのです。その時、相手に心を閉ざし、神に対しても心を閉ざしているからです。言葉では何とでも言えます。しかし命を捨てるとなると、重大な決心をしなくてはなりません。その時、私達の心は相手に対して開かれています。同時に神にも開かれています。他人を心から受け入れる人は、神を心から受け入れています。そうでなければ他人を受け入れることなど出来ないからです。

 神は私達の教会が豊かに成長することを願っています。それがこの世の人々の幸せに繋がるからです。ヨハネは人の弱さを知っています。今のままではだめなのです。変わるためには、相手を主イエスのように愛することが必要なのです。主に倣って、口先だけの信仰でなく、行いと真実をもって信仰を実践しましょう。