メッセージ(大谷孝志師)
信仰により救われた私達
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年4月14日
ヨハネ20:30-31 「信仰により救われた私達」 牧師 大谷 孝志

 ヨハネの福音書だけが、福音書が書かれた目的を記しています。その目的は「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである」です。ヨハネは冒頭で、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」この世界が造られる前からことばは神として存在していたのです。しかしヨハネは、ことばは神とともにあったと言います。矛盾する言い方に聞こえますが、ことばと神は、区別されるけれど分離されない関係なのです。この「ことば」は、人となってこの世に住みました。それが私達の主イエスです。その主を今、私達は礼拝しています。

 主は子なる神としてご自身を顕し、神を父なる神として顕した方です。しかし、ユダヤ人はイエスは自分を神の子と自称したと非難しました。ご自身も間接的に自分は神の子と認めただけです。主はご自分を「人の子」と呼んでいます。しかし、バプテスマのヨハネ、十二弟子の一人ナタナエル、ペテロ、マルタ、主の十字架刑に立ち会った百人隊長も、イエスを神の子と告白しています。加えるなら、悪魔、悪霊に憑かれた者もイエスを神の子と呼んでいます。しかし、キリストという称号は、最高法院での尋問で使われた以外は、イエスへの信仰告白のみで使われています。主イエスが神の子・キリストであると信じ、告白することは、神が全ての人を救うために行動を起こしたこと、この世を神の直接支配下に置いたことを、そして全ては神のものであると信じることなのです。初代教会の人達は、自分達がキリスト者であることを異教徒に知られないように示す為に、小魚のマークを使いました。小魚は、ギリシア語の「イエス・キリスト・神・子・救い主」の頭文字ιχθνσで出来ている言葉だからです。これを合い言葉に、世が神のものになるよう福音を宣べ伝え続けました。私達も主イエスはキリスト、救い主と伝え続けています。

 では、私達は主イエスが神の子、キリスト、救い主だとどのようにして知ったのでしょうか。イエスと生活を共にしていた弟子達もユダヤ人を恐れ、戸に鍵を掛けて家に閉じ籠もっていました。彼らは女性達から主イエスが復活したと聞いても、復活の主に会っていなかったから、信じられなかったのです。しかし主は彼らの所に来て、ご自分が生きていることを示しました。彼らは見て信じました。しかしそこにいなかったトマスが、脇腹の傷跡に手を入れてみなければ自分は信じないというと、主は再び現れ「入れなさい」と言い、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言い、彼がイエスに「私の主、私の神よ」と答えると「見たから信じたのですか。見ないで信じる人達は幸いです」と言います。私達は主を見ないで信じています。信じるとは、分からないけどそうかもしれないから信じてみることではありません。見えないし分からないけど、それが事実であることに自分の全てを掛けることです。掛けるは賭け事の賭けるではありません。信仰は一か八かの賭け事ではありません。神に自分の人生の全てを任せ、委ねることなのです。主が共にいて働いていると信じ、主が願いを実現し、主はいると具体的に分かる迄、信じ続けましょう。パウロが獄吏に言ったように、信じれば救われます。彼はヨエル2:32を引用して「主の御名を呼び求める者はみな救われる」、イザヤ28:16を引用し「信じる者は失望しない」と教えています。私達は主イエスを信じて救われています。主は神の子、キリストで、神が私達を救う為に世に遣わした救い主だからです。主は今も、世の救い主として生きて働いています。私達は信じたから救われています。感謝しましょう。