メッセージ(大谷孝志師)

福音の大切さを知る
向島キリスト教会 礼拝説教 2019年5月5日
ガラテヤ2:1-10 「福音の大切さを知る」  大谷孝志牧師

それから十四年とは、第一回エルサレム訪問から十四年後になります。パウロは、バルナバと一緒に、テトスも連れて、再びエルサレムに来たのです。この間、彼はシリアのアンティオキア教会で異邦人伝道に従事していましたが、その教会から派遣され、アナトリア半島、現在のトルコ共和国東部の町々で福音を伝えました。これはパウロの第一回伝道旅行と呼ばれれています。この教会には異邦人とユダヤ人の信徒がいました。使徒の働き15章によると、ある人々がユダヤ(エルサレム)から来て、律法遵守し割礼を受けなければ救われないと教えたのです。パウロとバルナバとユダヤから来た人々の間で激しい対立と論争が生じました。そこで、パウロが宣べ伝えていた異邦人に受け入れ易い福音が、エルサレムの使徒達が正しいと認めるものであるかを、パウロとバルナバ達がエルサレムに行って直接確かめて欲しいとの要請が教会から有り、そこで彼らは、その教会から送り出されてエルサレムに来たのです。

 彼はその事を「啓示によって上った」と言います。人間の集団である教会の中で生じたこの問題は非常に重大だったからです。教会はそれを解決しようと決断を下しました。これは彼の人生を決定付けるような大問題でした。ですから彼は、聖霊の導きに従おうとしたのです。彼は教会の決断が正しいものであるかどうかを主に尋ね、エルサレムに行くべきと示されたのです。私達も教会や自分の将来について重大な問題が生じた時、決断しなければならない時があります。それが正しいかどうかを主に尋ね、主に示された結果に従うことが必要と教えられます。教会は人間の集まりですが、教会はキリストの体であり、主イエス・キリストは私達の体です。教会は見えない聖霊の導きにより、御栄えが現される方向に導かれているのです。だから私達は教会なのだという事実を、私達は真摯に誠実に受け止めているべきなのです。

 彼が伝えていた福音は、1:11,12によると、人間から受けたものでも、教えられたものでもなく、ただキリストの啓示によって受けたものです。これも霊的事実です。彼にとっては動かされることのない真実です。しかし彼は、自分が伝える福音は正しいと主張し、相手を従わせるのではなく、それが使徒達に正しく理解されるよう全力を尽くします。そこに彼の啓示と使徒達への謙虚さ、言い換えれば全てを支配する主への服従を第一にする彼の信仰を見ることができます。自分に与えられた信仰的確信を大事にするのは当然のことです。しかし、自分の確信が自分の思いへの執着に変質している時があります。固執は危険です。人間的思いに囚われず、今の自分はどうすべきかを主に尋ね、ただ主の御旨を求める姿勢が大切なのです。ですから、彼は自分の行動を啓示によってと言うことが出来たのです。私達は、主が支配する霊的信仰の世界に生きていることを決して忘れてはいけないと教えられます。

 彼は主に遣わされて、福音を伝えてきました。しかし彼は、人として伝える中で、噂や思い込みが入り込む余地があると知っていました。人々に主の思い、彼の行為が誤解、曲解されてしまうと、自分が懸命にしてきた事が無駄になってしまいます。ですから自分がしてきた事を人々に示し、影響力のある人々には正しく理解されるよう全力を尽くしたのです。彼は、自分が伝える福音によって得られる素晴らしい自由を危険視し、否定しようとした人々に屈服しませんでした。聖霊が助け導いたからです。そして自分達の主に対する姿勢の正しさをエルサレム教会の人々に認めさせました。彼は人間です。主は、その彼のご自分への真剣さを喜び、豊かな実りを与えたのです。

 彼を用い、働かせているのは神です。だから彼は福音の真理を保つ戦いに勝てました。しかし、彼の意志、気力にも並々ならぬものが有ったのです。神は御心のままに人を用いて全てを行わせますが、人はロボットではありません。全てを与え、万事を整えた上で仕事をさせるのではないからです。その人に与えた能力とその人の意志を用いて御業を行わせます。大切なのは賜物への真剣さなのです。自分に委ねられた事をしなければとの自分の思いです。だから、人は達成感や喜びを経験できます。それが更なる気力や根気を生じさせます。それがより高い目標へと向かう力を得させるのです。神が人に自由意志を与えたのは、自分の意志で神に喜ばれる者となり、同時に、共に心を合わせて御業を行わせる為です。共に働くことでより大きな業を行え、より大きな喜びを得られます。ですから彼が伝え、私達が信じる福音は素晴らしいのです。その福音に生きる時、この福音を人々に伝えたくなります。

 しかし、人は自分の考えや生き方に固執しやすいことを心に留めましょう。そして互いに相手の考えや生き方を認め合うことが大切にしましょう。それが、古い自分を克服し、新しい自分で新しい段階に進めるよい機会になります。ヤコブは主イエスの弟です。12節にあるように、律法を遵守し、割礼が神の民の印と考えるユダヤ人キリスト者の代表格です。ケファはペテロ、彼とヨハネは十二弟子の一人です。彼らは主の兄弟ヤコブに引きずられていました。しかし奇跡が起きました。ヤコブもペテロもヨハネも、その思いを断ち切り、思いを一つにするしるしである握手をパウロとしたのです。そこに働いていた聖霊が、彼の働きを主のみ心によるものと示し、彼の働きを自分達の思いを越えた主の恵みによると認めさせ、受け入れさせたのです。主は互いの思いを助け導きますが、人と人との間の壁を打ち破る方でもあります。

 私達が一人でも救われることを望むなら、主が働いてくれます。主はその為に十字架に掛かって死に、復活して今も生きて、ここに、私達一人一人と共にいるからです。父なる神もそれを望むから御子を大きな愛の痛みをもって世に与えたのです。主が約束した通り、聖霊が私達の内に住み、今も私達を内側から強くしています。御子イエス・キリスト、父なる神、聖霊なる神の働きにより、私達は変えられ、見えに見えないが神が支配する世界に生きているのです。私達は、自分が喜んで信じ、それによって生きている福音を世の人々が聞けるように最善を尽くしましょう。その為にここに教会が建てられているのです。そして私達もここにいるのです。聖霊の更なる、力強い働きを祈り求めましょう。私達が祈り求め、全てを主に明け渡すなら、主は喜んで受け入れ、この地にリバイバルを起こしてくれます。祈りましょう。