メッセージ(大谷孝志師)
聖霊が私を変える
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年5月5日
使徒1:6-11 「聖霊が私を変える」 牧師 大谷 孝志

 主イエスが弟子達に、聖霊降臨による新しい時の始まりを予告しました。しかし彼らは「イスラエルの為に国を復興してくださるのは、この時なのですか」と主に尋ねました。イスラエルの為にと言いながら、結局は自分達の将来が最大の関心事だと私は感じました。私達も皆の為と言いながら、自分の主張の実現を願ってしまう時があるからです。或いは、周囲の他人の変化に教会の変化を期待してしまうこともあります。こうなる、そうなることが御心と思い込んでしまうと、主に期待しているつもりでも人に期待してしまい、自分の予想通りにならないと、相手を裁いてしまうことになってしまいます。教勢が停滞していた時、牧師がこうだから教会が成長しないと言われたことがあります、その時は非常に辛かったです。私としてはあの人がと心の中で思うので、互いに心の中で裁き合う結果になってしまいました。主イエスの時代のイスラエルの人々も非常に厳しい状況に置かれていました。弟子達もその現実を思う時、十字架に掛かって死んだ主が復活して自分達の目の前にいることで、劇的変化が起きると思ったのは当然と言えば当然です。その思いが、ダビデ王国の復興の預言と重なって「イスラエルの為に国を復興してくださるのは、この時なのですか」という質問になったのです。

 しかし、主はその問いに否定も肯定もしません。主は全ては父なる神がご自分の権威をもって決めているからと知るからです。関心を持つべきなのは、いつか、どんな時かではなくて、自分達に聖霊が降る時、自分達がどうなるかということなのです。彼らは、主が国を立て直すことを願っています。これ迄のイスラエルの歴史を振り返ればそう考えるのは当然です。王国の前後、イスラエルは周囲の強国に蹂躙され続けましたが、王国の初期にサウロ、ダビデ、ソロモンが大きな役割を果たしたのは事実です。神が人を選び、用いて、その人々の働きによって国が建設され、強大な国家となりました。しかしそこには彼らの信仰により大きな原動力である主の力が働いたことを、私達は聖書を通して知らされています。

 私達も教会の成長を期待しています。成長させて下さるのは神ですが、そこで用いられ、働くのは人です。そこに立つ一人一人が、どう生きるべきかを知ることが何より大切なのです。あの人が変われば教会が変わると思うのは責任転嫁です。私一人が変わってもと思うのは逃げです。それらは悪魔の誘惑です。私が変われば教会は変わると信じましょう。但し、人は変わることは出来ても、自分で御心に相応しい者には変われません。唯、信仰によってのみ可能なのです。子供が多くの可能性を秘めているように、神の子である私達も多くの可能性を秘めています。その最大のものは信仰です。聖霊が私達の上に臨む時、力を受けるとありますが、その力が私達の内に働き、秘められた可能性である信仰を引き出すのです。芥子種一粒の信仰があれば山をも移せます。信じる者には何でも出来ます。それが私達の内に秘められている信仰の力です。でも、信仰が心の奥に押し込められ、活性化しないと、世の常識、過去の経験で行動してしまいます。聖霊の力で信仰が引き出され、活性化すると、私達は自分と神を正しく見つめられるようになり、心を新たにすることで、自分を変えて頂けます。そして「神の御心は何か、何がよいことで、神に喜ばれ、完全であるかを見分けるようになれます。」その為には、私自身が霊のバプテスマを受けていることを悟りましょう。御霊が働く余地が心に生じ、不活性な信仰が活性化し、私が変わり、教会が変わります。