メッセージ(大谷孝志師)

母の思いを知る主
向島キリスト教会 礼拝説教 2019年5月12日
マタイ20:20-28 「母の思いを知る主」  大谷孝志牧師

 今日は母の日です。先週の聖書箇所の案内を変更して、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母親を通して、「母の思いを知る主」の話しをさせて頂きます。

 礼拝堂にカーネーションも飾られています。母の日にこのようなことするようになった由来ですが、アメリカの南北戦争のさなか、敵味方を問わずに負傷兵の衛生改善に尽力したアン・ジャービスという女性がいました。彼女の死後、娘のアンナが亡き母の命日(1907年5月12日)に教会で記念会を開催し、参列者に母の愛した白いカーネーションを配ったのが、現在日本で広まっている母の日の始まりです。全ての人には母親がいます。私の母も天に召されて18年になります。私は数え年17歳で献身を決意したのですが、その時、牧師が両親を説得する為に家に来てくれました。私が生まれてまもなく、この子は17歳でお前から離れて私のものになるとの御告げを母が受けていたと聞き、驚いたそうです。私に教会に行けと言いながら、母は仕事と趣味の謡曲の会の世話の為、殆ど礼拝には出ませんでした。でも私がバプテスマを受ける決心をした時、自分も一緒に受けたいと牧師に申し出ました。しかし、礼拝をしっかり守れるようになってからバプテスマの準備をしましょうと牧師に断られました。母は教会もイエスも好きだったのです。でもどっちつかずの信仰でした。しかし主はその母をしっかり捕らえて、15年後に信仰告白とバプテスマに導きました。更に15年後のことですが、私が母教会に招かれ、副牧師として働いていた時のことです。教会事務室の前を通ると母が涙ながらに語る声が聞こえました。私がしっかりした働きができるように導いて欲しいと牧師にお願いしていたのです。二つの教会で20年以上牧師として懸命に働き、約20名の魂を救いに導いてきた私でも、一人息子のことを思うと心配で心配で堪らなかったのです。それが「母御心」というものなのでしょう。

 ヤコブとヨハネの母も二人の息子のことが心配で堪らなかったのでしょう。息子達を連れて主の所に来て、ひれ伏してお願いしたのです。息子達はガリラヤ湖畔の舟の中で父と網を繕っていた時、主に招かれ、舟と父親を残して従って以来、弟子として主と生活を共にしてきました。それでも母は彼らの将来を思うと、主に保証をして欲しいと考えたのです。そしてどうせ願うなら、彼らと一緒にいる弟子達の中の最高位に着かせて欲しいと思ったのです。息子達にその資格があるかどうか、その事を言ったら他の弟子達にどう思われるかは、全く考えていません。唯、息子達の為になると自分が思った事を行動に移してしまったのです。20節の「その時」とは、十字架の死が待つ都エルサレムに入る前に主が最後の受難告知をした「時」です。「人の子」とは、イエスが御子である自分を指す時に使う言葉です。主が「祭司長達や律法学者達というユダヤ社会の指導者達が私を捕らえ、死刑に定めます。彼らは、私を嘲り、鞭で打ち、十字架に付けて殺す為に異邦人に引き渡します。しかし三日目に私は甦ります。」と言った直後です。ぞっとするような話ですが、主の切実な言葉は、我が子可愛さの彼女の頭上を通過してしまったのです。

 主は母と息子達に「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」と答えます。すると息子達は「できます」と答えます。彼らは、自分偉くなりたい、偉いと思われたいと思っているからです。先頭に立って皆を引っ張っていく者になりたいと思っているからです。弟子達は約2年半、主と生活を共にしています。主の身近で話を聞き、神が共にいてしなければできない様々なしるしと奇跡を見聞きしています。このようなイエスを世に遣わして下さった父なる神に感謝していた筈です。人の思い、知恵と力を遙かに超えた神が共にいると実感させられていました。しかし、その素晴らしさを体験していても、彼らは神の前にひれ伏してはいないのです。確かに、彼らは人として主イエスの所に来てひれ伏してはいます。でも、主に願っている事は、主の、そして父なる神の御心から遙かにかけ離れた事だったのです。どうしてでしょうか。彼らの心が、罪と悪の力からまだ解放されていなかったからです。私達はこのような二人も、そして主が「あなたがたはわたしの杯を飲むことになります」という言葉だけし頭に入らずに、二人の弟子に腹を立てた十人の弟子達も笑うことはできません。私達も結構同じような事をしている時があるからです。一人聖書を読み、祈る時も、礼拝や集会に来ていても、自分中心の考え方、生き方をしていることが私達にも結構あるのではないでしょうか。

 私の母は、その場、その時に応じた様々な格言を私に教えました。私が自分の人生をしっかりと生きられる為です。母は私の為に一生懸命でした。私が人として正しく生きられるように関わり続けてくれたのです。しかし小五の時、母から自立しました。一人っ子の私にべったりだった母は、とても悲しく、悔しくもあったようです。やがて自分の力だけでは無理だと気付いた母は、私を近くに出来た教会(伝道所)に行くように熱心に勧めました。教会の人というより。教会の主であるイエスに私を託したのだと思います。更に、最初の妻が天に召され、幼い二人の子を抱えて岩手と宮城の県境の教会で働く私を助ける為に、仕事を辞めて来た時のことです。そこで暮らす中で、やはり自分の力だけでは駄目だと悟り、今度は母自身が自分を主のものとする決心をし、その教会で信仰告白をし、私からバプテスけマを受ました。そして助産師の仕事と謡会の世話は続けましたが、母はどうしようもない息子とは思っても、主に仕える思いで、教会では私に仕え、助けてくれました。

 彼らの母も息子達の為に一所懸命だったのだと思います。でも、その思いに囚われたまま、主にひれ伏してしまいました。でも、自分の願望からであっても彼女は主に願い、主の答えを聞けました。それは素晴らしいことです。人は弱い者です。主はそのままで良いから、私のもとに来て、ひれ伏せと言います。私達が自分なりに精一杯生き、主に委ねるなら、主は私達を助け、導き、御言葉の前に立たせて下さると教えられます。彼女も主の「人の子が、仕えられる為でなく、仕える為、また多くの人の為の贖いの代価として自分の命を与える為に来たのと、同じようにしなさい」との御言葉を聞きました。彼女もまた変えられたと思います。御言葉は生きていて、力があるからです。