メッセージ(大谷孝志師)
教会が成長する為に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年5月26日
ピリピ2:1-5 「教会が成長する為に」 牧師 大谷 孝志

 私達はこの教会のメンバーです。主にここに招かれたからです。主は何の為に私達を招いたのでしょう。この教会で主を信じて救われた人もいれば、他の教会で救われ、転会して来た人もいます。どちらにしても、この教会で主を信じて生きる為に主がここに招かれたのです。主が私達を招いたのは私達自身の為ですが、それだけではありません。この地域の人々に福音を伝える為でもあります。福音の福は良い事を表します。音は音ずれ・便り・知らせ等を意味する言葉です。英語ではGood newsと訳します。「良い知らせ」です。誰からの良い知らせかと言えば、神様からの良い知らせです。聖書の中に小福音書と呼ばれる1節があります。ヨハネ3:16です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになった程に世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と記されている通りです。この手紙を書いたパウロも使徒16:31で「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言っています。全ての人はそのままでは、その人が持つ罪の故に滅ぼされるからです。しかし神が世に与えた主イエスの十字架の購いによって、主イエスを信じる人は、救われ、永遠のいのちを持てます。救われるとは「神の豊かな恵みと平安を与えられ、神と共に生きられる」ことです。人として最高の生き方が出来るのです。だから「福音」「良い知らせ」なのです。彼はこの手紙の冒頭で「あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています」と記し、ピリピ教会の人々に、その喜びと感謝の思いを込めてこの手紙を書いています。

 救われ、神の恵みを豊かに頂いている筈なのに、今日の1節で「〜があるなら」と言っているのは何故でしょうか。これは「あるのなら」と言う意味ではなく、「あるのだから」「あるのに気付いているなら」というように、「キリストにある励まし、愛の慰め、御霊の交わり」がこの教会の人々の中にあることが前提なのです。それらのものがあるにもかかわらず、人は弱いのです。この教会の人々でも利己的な思いや虚栄心が頭をもたげてしまうのです。その思いから出る言動が、時に教会の交わりを間違った方に導いたり、教会の成長を抑え付けたりするのです。

 パウロはこれまで「あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが大切なことを見分けることが出来ますように。キリストの日に備えて純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。」(1:9-11)と彼らの為に祈ってきました。この教会はパウロから見て、霊的によく訓練された愛すべき教会です。でも彼らが今のままでなく、もっともっと高みを目指して欲しいのです。教会として更に成長していくことを願っているのです。ですから「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも考えなさい」と勧めます。そして、彼は最後に一番大切な勧めをします。「キリスト・イエスにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい」と。私達にとってもこの勧めは一番大切です。私達がイエスを見上げ、イエスの包み込むような愛、押し出すような導きが、心にあると感じる時、私達は主イエスの思いを抱いて人に接することが出来るからです。その時、私達の信仰が、私達の教会が、この地域の中で力強く成長して行きます。