メッセージ(大谷孝志師)

教会の誕生日
向島キリスト教会 礼拝説教 2019年6月9日
使徒2:1-13 「教会の誕生日」  大谷孝志牧師

 今日は全世界のキリスト教会の誕生日です。向島で教会の活動は荒川貞雄さんのお祖母様の家で行われた日曜学校に始まり、以来73年になります。本格的に日曜礼拝、日曜学校、聖書研究会、バイブルクラスが始まったのは1954年で、この年に瀬戸内海伝道団(現在の内海部会)で、土生教会の伝道所と認められました。基督教向島教会が宗教法人の認可を1957年に受け、今は向島キリスト教会と名称を変えて活動を続け、今も、ここで礼拝をしています。

 五旬節の日とあります。この日は過越の祭りから50日目の祭りの日です。ですから七週の祭りとも呼ばれます。50日がギリシア語でペンテコステなので、聖霊降臨記念日はペンテコステとも呼ばれます。この日は、小麦の刈り入れの祭りでもありました。ユダヤ教では、出エジプトの出来事を記念した「過越の祭り」、秋の収穫祭の「仮庵の祭り」と共に三大巡礼祭として多くの巡礼者がエルサレ神殿に集まって来ました。ユダヤ人は出エジプトを記念する過越の祭りを民族の誕生日として祝いました。この七週の祭りはモーセがシナイ山で律法を授与された記念日であり、この日は彼らの宗教の誕生日でもありました。ですから神が、キリスト教、教会の誕生日とする為にこの日に聖霊が降ったと考える人もいます。しかしそれは推測に過ぎません。確かな事は、神がこの日に聖霊を弟子達に与えると決めたということです。

 この事は私達の生き方全てに共通します。私達が日常経験する事とについて、ある程度の推測は出来ます。しかしそれらは、神が御心のままに実行することなのです。また、主が約束している事が実現するようにと私達も祈り求めます。弟子達のように、主の計画を信じ、共に祈りつつ日々為すべき事をしつつ待つことが大切だと教えられます。人は求めることが実現しないと、試行錯誤したり、自助努力で局面を切り開こうとします。しかし祈り続け、待ち続けた彼らのように、新しい事をして下さる主を信じ、主に期待し、主に全てを委ねて生きることが大切です。主は必ず祈りに応える方だからです。

 皆が同じ場所に集まっていたとあります。彼らが共に祈っていたことを暗示する言葉です。すると突然、激しい風が吹いてきたような響きが起こり、彼らが座っていた家一杯に響き渡りました。「風」は大事です。創世記2書には、神が人を創造した時、人の鼻にいのちの息を吹き込み、人は生きるようになったとあります。この息と風は同じ言葉です。炎のような舌が分かれて現れ、一人一人の上に留まったとあります、出エジプトの時、主は雲の柱、火の柱で臨在を示しました。この日の風と火が弟子達が聖霊に満たされたことを表しています。最初の人アダムが、命の息を吹き込まれて生きる者となったように、使徒達も聖霊に満たされることにより、人として生きる者となったのです。神は物理的現象を起こすことによって、彼らが聖霊に満たされとことを分かり易く具体的に示したのです。私達も聖霊の満たしを経験しています。私達が聖書を読んで心を動かされ、祈りによって湧き上がるものを感じるのがそのしるしなのです。主は主を信じる者を新しい人にしています。

 この日、聖霊の時が始まったのです。私達も真に生きる者とされています。聖霊に満たされ、新しい人、真に生きる者とされた使徒達は、御霊が語らせるままに他国の色々な言葉で話し始めました。エルサレムには敬虔なユダヤ人が様々な国から来て住んでいたのです。物音に驚き、集まって来た人々は、弟子達が各々自分達の国の言葉で話すのを聞いて呆気にとられました。この出来事には二つの解釈があります。一つは彼らが異言を語ったというものです。4節と12節の「ことば」は「舌」を意味し、パウロはこれに異言の意味を持たせています。彼はⅠコリント14:22で「異言は、信じている者達の為でなく、信じていない者達のしるし」と言い、異言には解き明かす者が必要だと言います。しかしこの時は、集まって来た人々がその異言を自分の国の言葉として聞き、理解できたとする解釈です。他の解釈は、聖霊が弟子達に諸外国の言葉を与えて語らせたというものです。どちらにしても不思議な出来事です。弟子達がこれから伝えようとする福音が、全ての人に伝えられ、理解されることを明らかにする為に、この時に神が与えたしるしなのです。

 ですからこの使徒の働きを記したルカは、集まってきた人々が世界各地で生まれた人々だと言います。更に、ユダヤ人だけでなくエルサレムに滞在中のローマ人を含めた異邦人の改宗者もいると言います。それらの全ての人が自分達の国の言葉で弟子達が語るのを聞いたのです。ルカはそれによって、これから生まれる教会の姿を暗示しています。それは世界中の人々が、教会の働きにより、自分の国の言葉で福音を聞き、信じるようになることです。

 この時代、パウロや使徒達が地中海の東側の陸地で伝道した時、主な対象はユダヤ人とユダヤ教に改宗した者達だったので、アラム語を使いました。地中海北側地域に入り、異邦人が主な対象になると、アレクサンダー大王が占領地で公用語にしたコイネーグリークというギリシア語で話しました。新約聖書、旧約聖書のギリシア語訳はこの言葉で書かれています。主はご自分の言葉通りに、福音がユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで伝えられる為に、異教徒の征服王までも用いて準備していたのです。しかしそれだけでは不十分でした。キリスト教はローマ帝国の国教となりましたが、やがてローマ帝国は滅亡します。その後、世界中の諸民族に福音を伝える為には、諸民族の言語を用いて福音を語ることが必要になります。その時の為に、主はこの聖霊降臨の日に素晴らしいしるしを弟子達に体験させ、誕生した教会に将来の教会の為に立てた主の計画を、深く刻み込み、受け継がせたのです。

 ルネサンス以後、教会は、各国の言語による聖書を発行し、世界中の人々が自分達の言葉で神の大きな御業を聞くことができるようになりました。神は人々を隔てる言葉の壁を取り除き、誰もが福音を聞き取れるようにしたのです。神はバベルの塔を建てた時、人々の言葉を乱し、言葉が通じ合わないようにしましたが、この日、世界中の人々を言葉が通じ合う世界に置いたのです。この日奇跡が起きました。御霊の主導によって、弟子達が用いられ、彼らの働きにより教会が誕生し、新しい時、神による全ての人を救う為の働き掛けの時が始まったのです。ですから今日は、全世界の教会の誕生日です。