メッセージ(大谷孝志師)
この教会を神の国に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年6月23日
エペソ4:1-10 「この教会を神の国に」 牧師 大谷 孝志

 聖霊降臨によって誕生した教会には、貧しい者が一人もなく、持ち物を共有できたと聖書は教えます。人は他人のことより自分が一番大事です。貧しい人がいることは分かっても、その人に自分のものを与えてしまえば、自分も同じように貧しくなるか、そうならなくても、今の生活レベルを大きく下げなければならないとしたら、とても踏み切れません。家族に影響が出ると思うと尚更です。しかし新しく生まれた教会の人々は、その自分という壁が無かったのです。どうしてでしょうか。圧倒的御霊の働きに突き動かされて、キリストの体である教会に、神の国になっていたからです。彼らは自分の力で変わったのではありません。自分達が知らずに犯していた罪を知らされたからです。神が世に遣わした御子イエスは神を冒涜した犯罪人として殺されて当たり前と考え「十字架に付けろ」と叫びました。その過去の罪を悔い改め、罪を赦され、バプテスマを受けて救われたのです。彼らは主の弟子達の仲間に加えられ、神の国の一員に召されたのです。

 もちろん初代教会も人間の集まりです。自分の思いを優先させた弱い人もいました。使徒5章に出てくるアナニアとサッピラという夫婦です。彼らは土地を売って得たお金の一部を自分達の為に取っておき、残りを売って得た全てのようにして使徒達の足下に置いたのです。ペテロは彼らが人を欺いたのでなく、神を欺いたと責めました。救われた人々は「財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していました。」しかし5:4のペテロの言葉はそれが義務ではないことが分かります。「売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか」と彼は言ったからです。人々は自由に捧げ物をしたのです。神に愛され、賜物として聖霊を受けて救われたという事実が一人一人を包み、貧しい人への優しい配慮ができるように変えられていたのです。

 今日の箇所の2節にあるように、「召されたその召しにふさわしく」歩んでいたからです。彼らは「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛を持って互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれ、御霊による一致を熱心に保」っていたからです。教会はこの一致に大きな特徴があります。私達はキリストの体である教会の一員です。私達はキリストの体の部分であるという共通項を持っています。でも、同じ主を信じて教会にきていても、一人一人の違いが気になることがあります。でもパウロが言うように「主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つです」。どんなに違いが見えても、私達は同じ信仰を持ち、同じバプテスマを受けた者同士です。

 私達は主を信じ、主に拠り頼んで生きています。でも、世の終わりが来る迄は、この世の中に生きています。悪魔は主に頼らずに自分の力に頼るように誘惑をしてきます。負けないように気を付けましょう。私達は神の国に生きているのです。この世と同じに見えるかもしれませんが、ここは神が支配している世界なのです。聖霊に満たされた私達が生きている世界です。この世との違いをはっきりさせましょう。世の終わりが来る前に、この世の人々にも教会が神の国だと分かる時が来ます。私達はその希望に召されているのです。私達は愛し合い、祈り合い、励まし合えます。「全てのもののうちにおられる、全てのものの父である神」がここにいるからです。私達はキリストの体である教会の部分同士として一つになれます。人にはできなくても、神にはどんな事でもできます。私達が召され集められているのは、この教会が神の国となる為です。主の召しに相応しく歩みましょう。