メッセージ(大谷孝志師)
御心を知る者の強さ
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年7月7日
使徒4:8-14 「御心を知る者の強さ」 牧師 大谷 孝志

 ペテロ達はユダヤの指導者達、長老達、律法学者達、大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロスと、大祭司の一族がみな出席する中で尋問されました。ペテロにしてみれば、彼らは主イエスを十字架に付けて殺させた人々です。しかし、彼には恐れはありません。堂々としています。私も先週、再び講壇に立てないかもしれないという思いに迫られました。脳梗塞の治療を開始する時期が遅れ、3日程は悪化する危険があったからです。怪我であれば状態が目に見えるので、先の事について自分なりに判断ができます。しかし頭の中のことは自分にはどうにもならないことを痛感させられました。自分にもどうにもならない事があると実感することもまた恵みでした。人は、どうにもならない事に直面した場合、その内どうにかなるだろうと考えたり、自分や誰かの力が足りなかった、或いは、怠慢だったからと考えて、ごまかしてしまうことが多いのでは無いでしょうか。

 今日の箇所で問題になったのは、生まれつき足の不自由な人がペテロとヨハネの言葉によって踊り上がって立ち、歩いたり、飛び跳ねたりしていたことです。二人を尋問した人々が「お前たちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と言ったのは、ペテロ達が「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言い、その人が二人の言った通りになったからです。その人は、生まれつき足が不自由なので、施しを求める場所まで人に運ばれて来なければなりませんでした。自分の体が自分の思い通りに動かないというのは、本当に辛く、イライラし、腹立たしくすらなるものです。でも、彼は自分の力で自分の体を動かせるようになったのです。しかしペテロが言うように、二人が「自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたのではありません。「イエスの名が」とペテロが言いますが、「イエスの名」とはイエス自身を指しています。イエスが彼の足を強くしたのです。ペテロは「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、…この人を強く」したと言いました。でも、聖書には彼が信仰を言い表したとは、直接は書かれていません。しかし、彼は「神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入っていった」のです。彼が自分に起きた事は、神がしたことだと知ったからです。

 彼は「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言われ、ペテロに右手を取って立たされた時、イエスを信じたのです。その信仰はイエスによって彼に与えられた信仰です。彼は主が自分を癒し、自分の力で歩けるようにしてくれると信じたのです。そしてペテロ達の言葉通りの自分になったのです。彼は二人の言葉によって御心を知り、更に、自分が動き回れる事実によって、自分への御心を確信したのです。主は人を通して御心を私達に伝えています。「私の名によって生きなさい。自由になりなさい」と私達に語り掛けています。二人がしたように様々な人を主は用いて、立ち上がらせようとしているのです。

 私も今回の経験を通して、主が私を愛し、用い続けてくれると知りました。皆さんも主と共に生きる中で様々な経験をしている筈です。主は私達を愛し、私達を通して御心を行おうとしています。その事を心をしっかりと主に向け、自分に起きている事を見つめましょう。私達も躍り上がりたくなるような喜びに満たされます。御心を実感し、確信できるなら、私達は解放され、真の自由を得るからです。それは力です。強さです。御心を知り自由に御心を行う者になりましょう。