メッセージ(大谷孝志師)
辛子種一粒の信仰でよい
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年8月4日
使徒3:11-168 「辛子種一粒の信仰でよい」 牧師 大谷 孝志

 聖書を読んでいると、主イエスを信じる者に起きる出来事の素晴らしさに、大きな驚きを感じさせられます。読む私達ですらそうですから、奇跡の目撃者となった人々の驚きは、想像に絶するものがあったと思います。今日の箇所でも、生まれつき足の不自由だった人が、ペテロとヨハネにつきまとい、歩きながら神を賛美しているのを見て、人々はものも言えないほどに驚いたと記されています。しかしペテロは、「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。」と集まって来た人々に逆に問い掛けています。福音書には、主イエスによる多くの奇跡が記されています。主は、神に祈り求めますが、神が自分の求めに応えると分かっています。主と神は一つだからです。それを見た人々は、確かに驚きます。でも、神が主の求めに応えたと知ったので、神を崇め、讃美しています。

 しかし、ペテロとヨハネは、人々にはごく普通の人にしか見えませんでした。ですから、その彼らがこんな驚くべき事をしたのが不思議で堪らなかったのです。使徒達と人々はどこが違ったのでしょう。この世界の見方が違っていたのです。使徒達はこの世界は主が支配していると知っていました。人々も神を信じていたし、自分達は神の民だと思っていました。でも、自分達と神の関係が壊れているので、神の思いと自分達の思いが擦れ違っていて、神を信じ、礼拝していると思っても、実は見当違いの方を向いて礼拝しているのに気付かなかたったのです。神の愛と力を自分の方から跳ね返していたので、癒された人が歩いたり、躍り上がって神を賛美しているのを見て、驚愕し、自分達が信じている神がこんな事をする筈はないとしか思えないので、この二人が、自分の力か自分達には到底達することの出来ない敬虔さによって彼を歩かせたとした考えられなかったのです。

 ペテロとヨハネは「あなたがたが殺したイエスを神はよみがえらせました。そのイエスが、ご自分を信じる信仰の故にこの人を強くし、このとおりの完全な体にしたのです」と教えました。二人は人々に、この世界は今、イエス・キリストが主として支配する世界です、と宣言したのです。人々は気付いていないけれど、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって、壊れていた神と人との関係が 回復し、人は悔い改めて、つまり、方向転換をして神に正しく向かうことができ、神を礼拝できるようになったのです。人々は、神との関係が壊れ、神から心が離れているのを悲しんでいる御心を知らなかったし、その関係を回復する為に御子をこの世に与え、御子の十字架の死によって、罪が取り除かれるようにした神の愛に気付かなかったのです。ですから二人は「悔い改めて神に立ち帰りなさい」と人々に教えたのです。全ては神と主イエスが整えているからです。私達の方で悔い改め、神の方に正しく向き直し、神に立ち帰れば良いのです。それだけで良いのかと人々は思ったかもしれません。神が人々に求めるのはそれだけなのです。主イエスも言いました。「もしからし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ」と言えば移ります」と。微細な信仰でよいと主が言うのは、私達が自分の信仰を吟味する必要はなく、ただ信じるだけでよいからです。いえ、信じられなくても良いのです。マルコ9:24の父親のように「信じます。不信仰な私をお助けくださいと祈ればよいのです。この癒された人もペテロ達も、からし種一粒ほどの信仰だったのです。私達も安心して主が共にいると心から信じて、祈りましょう。主は私達を愛し、心に掛けています。私達の祈りを聞いています。