メッセージ(大谷孝志師)
言葉が通じ合うだけでは
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年8月25日
創世記11:1-9 「言葉が通じ合うだけでは」 牧師 大谷 孝志

昔、柏伝道所の教会学校のクリスマス会に出ました。借りた地域の会館に数十名の子供達が集まっていました。その中で「人は一人では生きられない」という劇をしていたことを覚えています。その題のように、人は一人では生きていけません。直接的、間接的に誰かに助けられ、支えられているから生きていられます。私達は、生きていく上で様々なものを必要とします。それらを得たり、与えられたりするには、その事を人に伝えなければなりません。その手段は何でしょうか。一番大きなものは言葉だと思います。勿論、目線や表情で自分の思いを相手に伝えることも出来ます。でも、一番的確に伝達できるのは言葉だと思います。

 今日の聖書に「全地は一つの話し言葉、一つの共通のことばであった」とあります。この11章は、ノアの大洪水の話とアブラハムの話の間にあります。神が大洪水を起こし、選んだ動物とノアの家族以外の全てを滅ぼし、アブラハムを選び、育てていかなければならなかった理由が示されています。全てものを死に絶えさせたのは、神が創造した人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾いていたからです。神は大洪水により世界を一新しました。しかし、人の心までは一新されていなかったのです。まだ不十分でした。それで神はアブラハムを選び、人が神の民に相応しくなる為に、彼と契約を結び、養い育てていきます。

 これがノアとアブラハムの話の間に、バベルの塔の話が記されている理由です。大洪水により、人は自分のしたい事をしていてはだめだとは気付いたでしょう。でも不安になりました。彼らは言いました。「さあ、我々は自分達の為に、町と頂が天に届く塔を建てて、名を挙げよう。我々が地の全面に散らされると行けないから」と。しかし彼らは、その塔を建て始めたことによって、地の全面に散らされる結果になりました。そうならないようにしたいと思ってしたことが、そうなってしまったのです。聖書は私達人間の心の内にある問題を明らかにしています。

 彼らは天に届く塔を建てることで、人と話すように神と話をし、自分達が安心して生活できるようにしたかったのです。平安は神が与える方であることは彼らも知っていました。しかし、人がエデンの園を追放されて以来、人は神との関係を断たれたままでした。不安だったのです。ですから、彼らは自分達の力で神の前に出て、自分達の思いを伝えたかったのです。でも、それが無理な相談だとは思ってもみませんでした。神は人に自由を与えました。しかし、人の心はその自由を使って神に喜ばれる正しい事ができないままだったからです。そのままではだめだから、神は人の言葉を混乱させ、話し言葉が通じないようにしたのです。

 私達はそれぞれの国語が通じる相手であれば、話が通じると思って話しています。しかし言葉は通じても、話は通じているでしょうか。互いに思っている事が違っている場合はないでしょうか。世界を見ても、そうとしか思えないことが沢山あります。人が話が通じ合えるようにと、神はアブラハムを選び、契約を結び神の民としたのです。神は人に律法を与え、それを守るなら、心の清い、神に喜ばれる民となるようにしました。しかし人には無理だったのです。ですから御子イエスを世に与え、御子を信じる信仰によって心を神に向けられるようにし、心に御霊を住まわせたのです。私達は御霊に助けられて、互いに話が通じ合う神の民として、御業を心と力を合わせて行えます。バベルの塔の時と同じだった私達は今、主の十字架と復活により話が通じ合える神の家族となれました。感謝です。