メッセージ(大谷孝志師)
幸いな人になれた私達
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年9月15日
使徒6:7-15 「幸いな人になれた私達」 牧師 大谷 孝志

 ここに出ているリベルテンとは解放奴隷の人々です。奴隷達は解放され自由になっても、差別から抜け出せなかったのです。解放奴隷のユダヤ教徒も独自の会堂で礼拝していたのです。この会堂に属していたのは、クレネ人、アレクサンドリア人達でした。彼らが議論していたステパノは、使徒達に選ばれた信仰と聖霊に満ちた七人の内の一人でした。彼らは彼と議論しましたが、歯が立たなかったのです。彼が語る時の知恵と御霊に対抗できなかったからです。ステパノが御霊によって語ったのに、何故彼らは対抗しようとしたのでしょう。彼の言葉は、御霊が教え、語らせた言葉です。その言葉を彼らは、人の言葉としか聞けなかったのです。私達も福音を、御言葉を世の人々に話します。それは私達が自分で考えて作り出したものではありません。御霊が私達に教えた真理の言葉なのです。

 私達も主イエスを信じる前は、教会の人々が話し掛けてきた時、それは良い言葉だとは思っても、彼らがそう思って話しているだけだと思い、真理だとは思ってもみませんでした。ステパノの言葉を聞いた人々も同じだったのです。彼は、人々が真理を知り、神の御心を知り、神に喜ばれる人になってほしいと思うから、彼らにどう反発されようと、否定されようと語り掛け続けたのです。彼らはステパノに自分の考えが間違いだと認めさせようとしました。でも出来ませんでした。そこで力づくで彼を打ち負かそうとしたのです。ある人々を唆して「私たちは、彼がモーセと神を冒涜する言葉を語るのを聞いた」と言わせました。そして民衆と長老達と律法学者達を扇動して、彼を襲って捕らえ、最高法院に引いて行ったのです。そこで偽りの証人に証言させたのです。その時、最高法院の席に着いた人々が彼を見ると、彼の顔は御使いの顔のように見えたと聖書に記されています。

 ステパノは旧約の歴史を人々に語った後、彼らが正しい方を裏切る者、殺す者となったと言い、神が遣わしたキリストである主イエスを殺したと断言しました。あなた方は自分達はユダヤ教徒、神に選ばれた民だと言っているが、実は聖霊に逆らい、神に背を向けていると言ったのです。私達は世の人々に福音を伝える時、人々はユダヤ人ではないので、同じような事は言えません。しかし、神は御子イエスの十字架の血の贖いによって、全ての人を神の民、神の子としたのです。そして全ての人に救いの手を差し伸べているのです。この世を神の国としているのです。ユダヤ人達は神の国がいつ来るのかと待ち望んでいました。主は「神の国は、目に見える形では来ません」また「見よ、ここだ」とか「あそこだ」といえるようなものではありません。神の国は、今私達が生きるこの世界に来ていますと教えました。しかし私達にも、世の人々にも神の国は見えません。しかし、目に見えなくても主イエスを信じる人は神の国に生きていることを、今日の箇所は私達に教えています。彼は聖霊に満たされ、じっと天を見つめていると、人の目に見えるはずがない神の栄光と神の右に立っている主イエスを見たからです。「天が開けて」とあるように、この世に神の国が来ているのです。目には見えないけれど、主イエス・キリストを信じる人は、神の国に生きているのです。彼は町の外に追い出され、人々に石を投げつけられ、眠りにつきました。彼は死にましたが、幸いです。目には見えなくても、神の国に生き続けているからです。私達もいつか死にます。しかし、世に生きる間も死んだ後も、永遠に神の国に生き続けられます。私達は、主イエスを信じ、救われているので、幸いな人になれたからです。