メッセージ(大谷孝志師)
自分の言葉が相手に届く
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年9月29日
ルカ6:41-49 「自分の言葉が相手に届く」 牧師 大谷 孝志

 私達は自分一人だけで生きているのではなく、他人と関わりながら生きています。他人と関わるのは苦手だと言う人もいます。でも一人だけで生きて来られた人はいません。必ず、誰かの世話になりながら生きて来ている筈です。それだけではありません。生きている以上、他人に対して何らかの役割を与えられ、何らかの働き掛けをし、影響を与えながら生きているのです。それが現実なのです。

 それにしても、何故人と関わりたくないと思ってしまうのでしょうか。善意で関わり、相手に良かれと思ってしても、相手の受け取り方が自分の思いとは違う場合が多いからです。それに自分の言う事を聞いてくれない場合があります。それは相手の自由だと思ってみても、面白くありません。また何度言っても分からない人もいます。この人は病気や障がいだから仕方ないと思ってみても、それが彼なのだ、彼女なのだと思い、これが自分の使命、役割だからとそのまま受け入れようとしても、我慢には限界があります。ストレスは大変なものです。自分の言葉が相手に届いていないと感じさせられると、本当に苦しい思いをします。

 主イエスも同じような苦労をしていたようです。「なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。」と主が言ったように、口では主よ、主よと言いながら、主の御言葉が心に届いないとしか思えない生活をしていた人が周囲にはかなりいたようです。人々は主イエスの教えを聞く為に主の周りに来ていたのです。それなのにどうして御言葉にしっかり立ち、御言葉を実践しなかったのでしょう。そうすれば良いとは分かっていた筈です。頭では分かっていても心で分かっていなかったのです。耳から主の言葉が入って来ても心に落ちなかったのです。主の言葉がその心に届かなかったのです。

 私達も相手に教えたり、忠告したくなる時があります。そうする前に41,42節の主の言葉を読みましょう。自分の欠点に気づいても、それは小さくそのままで何の障がいもないと思えるが、相手の欠点は、相手が取り除かなければ相手の為にならないほど大きく見えているだけではないかと考える必要があるのです。更に、自分では良いと感じた事が、相手には大きなお世話、お節介の場合すらあります。

 自分の言葉が相手の心に届き、相手と安定した良い関係を保つ為にはどうしたら良いのでしょう。主は「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は悪い倉から悪い物を出します」と言います。自分の言葉が相手に届く為には、それが良い物であることが大切な条件になります。その為に、主は「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人」になりなさいと言います。「その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしない」からです。私達が主と共に生き、主のみ言葉に養われるなら、私達の心の倉に良い物が蓄えられます。そうするなら、私達は自分の心から良い物を出して、相手に良い物を与えることが出来るようになるからです。

でも、私達は人間ですから、そこに自分の思いが入り、正しく取り出せなかったり、正しく伝えられなかったりします。でも、躊躇することはありません。私達自身がそのような者として生きるなら、私達の弱さを含め全てを知る主が、私達の内に住む聖霊を用いて、私達が相手に伝えようとする言葉を相手の心に届けてくれるのです。自分の言葉が相手に正しく届く喜びを味わうことが出来ます。