メッセージ(大谷孝志師)
笑顔で明るく過ごす
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年10月13日
Iテサロニケ5:12-22 「笑顔で明るく過ごす」 牧師 大谷 孝志

 笑顔の素敵な人と渋い表情をしてる人とどちらの友達になりたいと思うでしょうか。笑顔は人を安心させ、豊かな気持ちにしてくれます。ですから私達は家族や周囲の人達がいつも笑顔でいられたらいいなと思います。いつも喜んでいて欲しいし、自分も笑いの絶えない所にいたいと思います。でも人生そんなにうまくはいきません。辛いこともあれば、嫌でたまらないときもあります。泣きたい時、唇を噛みしめて我慢しなければならない時もあります。だから、ホッとしたい思い、笑顔の中にいたいなと思うのではないでしょうか。それに他人の笑顔には不思議な力があるように思います。自分が抱えている問題や直面している現実には、別な見方や考え方があるのではと考える余裕のようなものを感じさせられるからです。それに囚われすぎている自分を外から見られ場合があるからです。

 教会も笑顔で一杯の所にするために、主がここに建てて下さったのです。先週もオープンチャーチ【タラント】に来た人々と奉仕する人々を見て感じました。それは、教会は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」の御言葉の上に建てられているからです。そして、キリスト者はこの御言葉によって互いに愛し合い、生活しているからです。でもそれは、私を含め、言うのは簡単でも現実には難しいと思っている人が多いのは事実です。

 家族や多くの人との関わりの中でそう生きるのは難しいと思ってしまうことが多いからです。それだけではありません。ここのミスや将来の不安に心が騒ぎ、先の事が考えられず、喜べない事、祈れない事、感謝できない事が、主イエスを信じていても繰り返し起きるからです。しかし、そのような中でも主イエスを信じていると、しかめっ面をして相手の人達に嫌な思いをさせようとは思いません。むしろ、どんな人にでも笑顔で接しようとします。でも無理して、我慢してそうするのではありません。そんな事をしても相手に見抜かれて逆に嫌な思いをさせることがあるからです。そうできるのは、そうする事を神が望んでいると知っているからです。そして神に喜ばれようと思ってしようとすると、聖霊が助けてくれるからです。聖霊は見えるものだけで判断せずに、見えないものに目を注げる信仰を、今ではなく、将来に期待する信仰を与えるからです。人間の知恵と力では到底不可能です。聖霊に助けられると私達にも出来るのです。ですから、今見ている事、起きている事で判断せずに、心の動きに気を配り、相手が何を必要としているかまで配慮できるようになります。信仰は本当に素晴らしいものです。

 それに、神は相手の人を愛し、その人の味方になって欲しいと私に望んでいると知るので、私に出来る事をして相手に暖かく接しようと努力できます。聖書の「小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容で有りなさい」との勧めを知るからです。とても弱いとは思えない人もいます。でも、駄目だ、我が儘と切り捨てず、仕方がないと諦めて機械的にならず相手に接しましょう。また、何ども同じ事をされて、仕返しをしたくなる気持ちも捨て、相手が望む事、相手にとって善い事をし、自分ならこうして欲しいと思う事を相手にしましょう。主はマタイ7:12で「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じようにしなさい」と教えます。人に暗い気持ちにされるより、明るい気持ちにされる方がずっと良いです。そうしましょう。そうするなら、笑顔で明るく過ごせます。