メッセージ(大谷孝志師)
発想の転換が必要
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年10月20日
ピリピ1:3-6 「発想の転換が必要」 牧師 大谷 孝志

 先週は、主イエスを信じていると笑顔で明るく過ごせると話しました。自分が安全だと思うから人は喜べるのだと思います。ですから、状況によってはとても喜べない場合もあります。例えば高い崖から落ち、落下しながら、或いは途中の木に掴まりながら、主よ感謝しますと明るく笑顔で讃美する人がいるでしょうか。しかし、主イエスを信じているとそんな時、そんな場所でも安全だと安心できるのです。主イエスを信じていない人には信じられないことですが、どんな状況であっても、主イエスは、主を信じる者を愛し、最善の事をして下さるからです。もちろん、そのまま落下するかもしれません。でも、主が共にいるから安全、安心できるのです。それは「先がある」と考えられるからです。迫害の嵐の中、火刑にされた人が燃えさかる火の中で、高らかに主を讃美した話を聞いたことがあります。彼らは火に焼き尽くされ虚しく滅ぶ姿ではなく、永遠の御国に移されて、栄光に輝く彼ら自身の姿、聖書を通して主が約束している姿を望み見ていたからです。人は先がないと思うと不安になります。でも先があると分かると安心できます。ヘブル13:8に「イエス・キリストは昨日も今日も、とこしえに変わることがありません」とあります。黙示録で、主は七つの教会の人々に「わたしはあなたの行いを知っている」と御使いに伝えさせました。主は常に共にいて、全てを知っているのです。主が彼らの保証人となっているのです。全ては主のみ手の内にあると信じたから、迫害の嵐の中で、人々は喜んで信仰を保ち続けたのです。

 パウロは言います。「あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることに共に携わってきたことを感謝しています」と。信仰を守り抜くことも大変ですが、福音を伝えることは世の人々と直接対決することであり、より厳しい状況に直面させられたと思います。聖歌に「望みも消えゆくまでに 世の嵐に悩む時 数えて見よ主の恵み 汝が心は安きを得ん」とあります。どんな状況におかれても、静かに恵みを数えてみたのでしょう、彼らはこの事実を確認できたから、キリスト者として最後まで信仰を守り通したのです。とは言え私達は、いくら主イエスを信じていても、先の事は分からない、一寸先は闇だと思ってしまわないでしょうか。

 なぜ、彼らは先があると信じられ、安全だと安心できたのでしょう。運動会の徒競走では、私は後ろから数えた方が早かったです。でも、走っていればゴールできました。曲がりくねったトンネルで、出口が見えなくても、出口は必ずあり、先に進みさえすれば、抜け出すことが出来ます。「あなた方の間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信していますと、彼は言います。今の生活で先が見えないと感じても、主が始められた良い働きと信じれば良いのです。今が私にとっての良い時、良い所と受け止められます。この発想の転換が大切です。それでも不安になる時がありますが、自分の未熟さに情けなくなる必要はありません。今は未熟でも、未完成なのです。主が完成させて下さるのです。主が共にいる、主イエスがこの世の主であるという事実に立って物事を考え、行えば良いのです。そうすれば、幾つになっても人は成長できます。素晴らしいと思いませんか。発想の転換をしましょう。先があると信じれば、どんなに不十分さ、足りなさを感じていても、今を楽めます。未熟な自分の成長を、そのような自分の将来を楽しみながら見つめられるからです。発想を転換し、世の秩序でなく、神の秩序の中で生きる者になりましょう。