メッセージ(大谷孝志師)
違うから互いに必要
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年11月10日
ローマ12:3-8 「違うから互いに必要」 牧師 大谷 孝志

 昔小学校の運動会の競争に親として出場し、転倒して大けがした人がいました。転倒する人は若い頃、足に自信があった人が多いそうです。しかし父になり、子が大きくなると、思いに体が付いてこないので、バランスを崩して転倒してしまうのです。運動面に限らず、人の体は経年疲労から来る故障が起きてきます。長年使った体は、様々な部分が故障してしまうからです。人は、思いつき、自分には出来ると思ってしようとしたが出来ずに愕然とした経験をする時があります。私も6月末に脳梗塞を発症し、左手足が自分の思うように動かせなくなりました。医者に後遺症が出るかもしれないと言われましたが、幸いなことにほぼ発症前の状態に戻り、月毎に、車の運転も出来、30分以上歩けるようになり、両足が同じように動かせるようになり、階段も早足で上り下りできるようになりました。

 自分の体が動かないと、自由に動ける人を見ると羨ましくなります。でもこの4ヶ月でリハビリが大切と知らされました。徐々に自分の意志で自分の体を動かせるようになったからです。この事は体に限らず様々な事で言えると思います。自分には出来ないが、他人には出来ると思う事がかなりあるからです。ピアノを弾ける人、弾けない人がいます。字を上手に書ける人もいれば、どう頑張ってもうまく書けない人もいます。人の心は微妙で複雑です。自分に出来ると傲慢になったり、出来ないと卑屈になったりします。無いものでなく、あるものを数えれば良いのですが、どうしても自分と人を比較してしまうのです。時の流れについても同じことが言えます。昔はあれが出来たのに、出来なくなったとがっかりした経験はないでしょうか。出来なかったできるようになると嬉しいです。特に懸命に努力して出来た時は嬉しいですね。でも、人は一人では生きていけません。だからグループ、社会を作ります。知恵と力を出し合い、助け合える仲間が必要だからです。作物や衣類や履き物などの商品を売ってくれる人、おいしい料理を作ってくれる人だけではありません。自分のする事を喜んでくれる人や自分の奉仕を喜んでくれる人も大切です。それだけではありません。自分という人間の存在意義や価値を認めてくれる仲間も必要なのですそういう人がいると力が湧いてきて、困難に立ち向かう勇気や、大きな壁があっても、それを乗り越える力が出ます。

 パウロは「一つの体には多くの器官があり、しかも、全ての器官が同じ働きをしていないように、大勢いる私達も、キリストにあって一つの体であり、一人一人は互いに器官なのです。」と言います。病気や障碍を持つ人もいます。でも全てはキリストの体の器官なのです。器官ですから、それそれの人にしかできない働きをする為に備えられている部分です。その働きが必要だから体に備えられtげいるのです。どれ一つ不必要なものはありません。私達は主に与えられた恵みによって、それぞれが異なった賜物を持っているのです。その恵みを自分の内に数えてみましょう。確かに自分は駄目だと思ってしまう時があります。でも、私達には主イエスという素晴らしい助け主がいるではありませんか。主は「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命の水が湧き出ます(ヨハネ4:14)」と言います。

 主に求めましょう。御言葉を与え、力を与え、自分にも出来る事があると教えてくれます。主は「惜しまずに、熱心に、喜んで行いなさい」と言います。主は私達が必要だから、向島キリスト教会というキリストの体の一器官としたのです。欠くことの出来ない仲間として互いに受け入れ合い、共に生きていきましょう。