メッセージ(大谷孝志師)
真理を知ると自由に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年11月17日
ヨハネ8:31-36 「真理を知ると自由に」 牧師 大谷 孝志

 主イエスは、神の福音を宣べ伝え、御言葉と御業によって人々を養い、励まし、勇気と喜びを与え様々な困難に直面していた人々が、日々元気に生きられるようにしました。主はご自分に助けを求めて来る人を拒まず、必要な事をしました。主が共にいるので、人々は心が満たされ、安心して生きています。しかし私達も主が共にいると信じて生活していますが、様々な出来事に直面すると、主が共にいるのに、どうして、他人に対して不平や不満を心に抱いたり、口に出して自分も相手も不快になるような事をしてしまうのだろうと落ち込むことがあります。

 その原因の一つは私達自身の御言葉への姿勢にあります。聖書を読んでいても、メッセージを聴いていても、心に響く時と響かない時があるのではないでしょうか。心の向きが大切なのです。でも、軽い気持ちで聖書を読んでいて、礼拝で説教を聴いている時、他の事に気を取られても、ふと、人生を変えるような御言葉が心に飛び込んでくる時もあります。不思議です。御霊が私達の内に働いているからです。主は私達を御業のために用いようとしているのです。世の人々や家族、知人の救いの為に私達の働きが必要だからです。主がお入り用なのです。主は都エルサレムに入る時、子ロバに乗って入りました。その様子が主がどんな方かを表すからです。私達も子ロバで良いのです。「何ができる、かにができる」という能力も資格も必要ないのです。主に用いて頂けば良いのです。子ロバは主に用いてくださいとアピールしたのではありません。用意もしていません。突然二人の主の弟子が来て、自分を主の前に連れて行ったのです。そのように私達も主がどんな方であるかを人々に知らせるために私達を必要とする時、聖霊が私達を主の御前に連れ出してくれます。主はそこに子ロバがいると知っていました。主がメシア、救い主と知らせる役目が果たせる子ロバがいると知っていました。だから、主が二人の弟子を子ロバの居る所に遣わしたのです。

 私達は主の為に何かをしたいと思っています。そう思ってもできない自分を思い、そんな自分が嫌になる時があります。私達の内にある罪が、主の為にしようとする思いを縛り付け、出来ないようにしているからです。でも私達は主の為にできる事をしたいという思いが強くあります。ですから、したいと思っている事自体が大事なのです。資格や能力を得れば、主が用いて下さるのではありません。一人ひとりが主の役に立てる資格や能力を持っているのです。主は、その私達の全てをご存じなのです。だから私達が、正しい者として真に自由に生きる為に必要なのは、自分の資格や能力ではありません。主は、ご自分を信じたユダヤ人達に言いました。「あなたがたは、私の言葉に留まるなら、本当に私の弟子です」と。

 私達は主の言葉の内に留まっていることが必要なのです。パウロはエペソ3:17,18で「信仰によって、あなたがたの心の内にキリストを住まわせてくださるように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、全ての聖徒達と共にその広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つように」と祈っています。この言葉は真理です。主イエス・キリストがどんな方かを知らせる御言葉だからです。この主の御言葉にしっかりと留まるなら、私達は自由になれます。主の素晴らしさ、豊かさを知り、主がどんな方かを知るなら、主の愛と恵みの内に生きる者となれ、真に自由な者となれます。主は私達を自由にする為に十字架に掛かって死なれ、罪から解放して下さいました。主に感謝しましょう。