メッセージ(大谷孝志師)
神様が飛び込んで来た
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2019年12月8日
ルカ1:5-11 「神様が飛び込んで来た」 牧師 大谷 孝志

 主イエスが生まれる前に、後に預言者となったバプテスマのヨハネが生まれました。その両親のお話をします。父親はザカリヤ、母親はエリサベツです。二人とも神の前に正しい人でしたが、子供がいませんでした。13節を見ますと、彼に現れた御使いガブリエルが「あなたの願いが聞き入れられたのです」と言いました。彼ら夫婦は高齢になっていましたが、子供が与えられるように神に願っていたのです。でも諦めていました。しかし主は、御子の先駆けの役目を果たさせる者をこの夫婦から生まれるとしたのです。これは彼らだけでなく、周囲の人にとっても信じられないことであり、大きな驚きでした。神は突然、思いも掛けない時に、御心を示し、その人の人生を大きく転換させます。神が共にいる人生、神が具体的に主導権を握る人生に転換させるのです。その人の人生に神が飛び込んで来るのです。彼らだけでなく、マリアもヨセフも御使いが現れ、自分がこれからどうなるのか、どうすべきなのかを知らされました。

 み使いが現れると、ザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われました。マリアは戸惑いましたが、ヨセフの場合は聖書には反応が記されていませんが、羊の群れの夜番をしていた羊飼い達は非常に恐れました。御使いの出現に対する反応は様々です。彼らは普通の人が経験できないことを経験しています。異次元の経験です。

 私達はそのような経験をした事はないと思います。しかし、私達は主イエスを信じ、主と共に生きていると信じています。主が私達を愛し、支え、導き、必要な時に必要なものを与えて下さっていると信じています。世の人々は偶然だよ、思い込みだよと言うでしょう。しかし、私達は自分の人生に主が共にいるから、安心して生きられると感謝しています。でも、私達はどうして主を信じられたのでしょうか。私を含め多くの人は、主イエスと共にいたくて、信じたくて教会に来たのではないと思います。主イエスが今も生きていると信じられないのに、信じたいと思えないのに、教会に行こうなどとは思えないからです。赤ん坊の頃から教会に住んでいて、礼拝に出ることが自然な人の場合はそうではないかもしれませんが、礼拝に出続けているのは、自分が主を信じていたいからだと思います。

 ザカリヤ夫婦にしてもヨセフにしても、神の御前に正しく生きようと思っていたし、マリアも同じように思いであったのは、御使いに対する反応を見れば明らかです。しかし神は彼らの人生をご自身の計画によって大きく変えられました。神は彼らを用いて、全ての人を救う計画を実行する為です。それは同時に、彼らの人生を転換し、神に目を真っ直ぐに向けさせ、神の為に人生を生きる者とする為でもありました。神は人の働きを必要とするからです。私達も思わぬ出来事に直面したり、新しい道を示されたりします。御使いが現れ、御言葉を告げてくれる訳ではなくても、神が不思議な形で御心を示されるからです。私達は今、神が支配する世界に生きています。主イエスの十字架と復活によりこの世界は悪と罪が支配する世界ではなくなっています。主イエスがこの世に生まれ、神自らがこの世に飛び込んで来たからです。私達が求めたからではありません。私達が神と共に生きる事が必要な存在だからです。神は私達の全てをご存じなのです。ですから私達は今、神と共にいます。神がイザヤを通して預言した「神が私達と共にいます」ことが実現しているのです。神が御子イエスとして、私達が生きている世界に飛び込んできたのです。私達を愛して共にいる神に心から感謝しましょう。