メッセージ(大谷孝志師)
最愛のものを捨てよ
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年2月2日
創世記22:1-14 「最愛のものを捨てよ」 牧師 大谷 孝志

 久しぶりに夕礼拝で旧約聖書の御言葉を学ぶ。今日の箇所は信仰の父と呼ばれるアブラハムが経験した出来事。彼の元の名はアブラム・高められた父。彼は神に「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい」と命じられた。イサクが生まれた時、彼は百歳、妻サラは90歳。子ができず諦めていた年老いた夫婦にようやく生まれた子。しかも神は彼に「あなたの妻サラが男の子を産む。その子をイサクと名付けよ。私は彼と契約を立て、それを彼の後の子孫の為に永遠の契約とする」と言った。イサクは約束の子。アブラハムへの祝福の第一歩がこのイサク。その子、愛するひとり子イサクを焼き尽くす献げ物として献げよ。私の為に殺せ、と神はアブラハムに命じた。

 アブラハムは朝早く起き、二人の若者とイサクを連れ、薪を用意して、神が告げた場所へ向かった。神の言葉への疑問も反問も一切無い。彼は黙々と従った。遠くにその山が見えると、二人の若者を残し、イサクと共に出かけた。神がそれを必要としたから、神が決めたから、ただそれだけの理由で彼は息子を殺す為に。

 しかし、彼は若者達に「私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえ達の所に戻ってくる」と言った。彼は理解不能な状況の中で、尚、彼は全てを主に委ねている。期待し得ない状況の中で尚も神に期待する。そこに「信仰の父」と言われる彼の信仰を見る。イサクは父に「火と薪はあるが、全焼の献げ物にする羊はどこか」と尋ね、父は「我が子よ、神ご自身が全焼の捧げ物の羊を備えて下さる」と答えた。彼は自分が置かれた状況の中で、尚も神に全てを委ねる。理解不能の命令に、神が命じた故に従う。しかし息子を献げよ、殺せと神は言ったが、人知を超えた神、彼の思いを遙かに超える神故に、神が羊を供えて下さると言う。自分の信仰によって理解したことを超えて神に期待する。そこに彼の信仰を見る。

 さて、告げられた場所に着くと、そこに祭壇を築き薪を並べた。イサクを全焼の献げ物とする為に。だから息子イサクを縛り、息子を祭壇の上の薪の上に載せた。アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。彼は神に期待しているが、最後まで神が命じた故に、命令に従う。神の約束への期待、息子への愛という自分の思いを捨てた。御心を第一にするという彼の信仰の本質を見る。

 その時、主の御使いが天から彼に呼び掛け、語り掛けた。「その子に手を下してはならない。今、私は、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分の一人子さえ惜しむことがなかった」と。彼は目を上げると、自分の期待通り、神が全焼の捧げ物として羊を備えていたと知り、それを献げた。

 神は何故、彼の愛するひとり子イサクを献げよと言ったのか。神が「必要なものはただ一つだけ」と、彼だけで無く全ての人に教える為。私達も様々なものが必要だと思って生きている。それに縛られていないか、と今日の聖書は語り掛ける。神はアブラハムに「最愛のものを献げよ」と言った。彼は神が最愛の方である故にイサクを献げた。息子より神を選んだ。その決断が正しいと聖書は教える。神は、私達を愛する故に、永遠の命を与える為に、御子イエスを世に与えた。御子の死により、主を信じる私達は神と共に永遠に生きる者となった。神は御子より私達を最愛の者として選んだ。私達も神を最愛の方として、最愛だと思っているものをパウロのように捨て、神を第一とし、神と共にいる人生を選び取ろう。