メッセージ(大谷孝志師)
境遇克服の秘訣
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年2月9日
ピリピ4:10-14 「境遇克服の秘訣」 牧師 大谷 孝志

 若い頃はよく移動に電車を使いました。暇な時、時折網棚から新聞などを取って読んだが、或時、こんな記事が目に止った「風疎竹に来たるも、風過ぎて竹に声を留めず。雁、寒潭(かんたん)を度(わた)るも、雁去りて潭(ふち)に影を留めず」と書いてあった。「まばらな竹林に風が吹くと竹の葉は騒ぐが、吹き止むとまた、元の静けさに戻る。雁が渡るとき淵はその影を映すが、雁が飛び去れば、もはや影を留めない」という意味だそうだ。人生で様々な出来事が起きると、竹の葉が騒ぐように心は騒ぐが、風がいつまでも吹いていないように、自分の心が平静に戻る時が必ず来る。また、色々なものが心に映り、惑ったり悩んだりするが、それが過ぎ去れば、また、静かな心に戻ることを読んだ詩。良い詩だが、今日の個所でパウロが表している境地に比べると静かな悟りで、パウロのはダイナミックな動的悟りで、同じ物事に捕らわれないにしても、生き生きしたものが感じられる。

 今日の個所には彼がこの手紙を書く切っ掛けとなった事が記されている。彼は、当時獄に入れられ、必要なものが十分に得られない厳しく苦しい状況にあった。 そこにエパフロデトに託されたピリピ教会からの贈り物が届いた。乏しさの中にいた彼は非常に喜び、その思いを伝えるのがこの手紙を書いた一つの目的。彼は厳しい状況の自分を誰も助けないと愚痴らず、手を差し伸べない人々を責めもせず、ピリピ教会に暖かい配慮に満ちた言葉で語り掛けている。彼らも彼のことが心配でなかった訳ではない。様々な制約に負け、無理すればできないことはなかったが、贈り物を届けられずにいた。10節は彼らへの暖かい配慮が滲み出た言葉。彼は自分が贈り物を非常に喜んでいるのは、私が乏しかったからだとは思わないで欲しいと言います。彼が、どんな境遇にあっても満足することを学んだからなのです。仏教の悟りの一つに「我、唯足れりを知る」があるが、彼の場合は瞑想により悟ったのではなく、主に知らされたのです。ですから彼は「私は、貧しくあることも、…富むことも、…満ち足りることにも、乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得て」いると言う。これは唯、貧乏でも金持ちでも、自分はそれに満足できる生き方を知ってるというのではない。12節の「貧しく」は2:8の「低くして」、3:21の「卑しい」と同じで、人間の本質的貧しさ弱さを表す言葉。私たち人間は様々な弱さや限界を持ち、先に言ったように、少しの風でも騒いでしまう。一二分の風でも長時間、いや一生続くかのように思ってしまう。しかし、そのような自分でも生きていけるとパウロが知っていることをこの言葉は表す。

 彼は神から心の豊かさを与えられていた。だから、どんな状況に直面しても、安心して、心豊かに生きられた。獄中にいるだけでなく、死刑も考えられる境遇は非常に厳しい。でもそれを克服できた。私達も彼程ではないが、非常に厳しい状況に立たされる時がある。彼が克服できたのは、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていたから。その秘訣とは「私を強くして下さる方によって、私はどんな事でもできる」との確信を与えられていたから。彼は四方八方から苦しめられても窮せず、途方に暮れても行き詰まらず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びなかった。自分がどんなに弱くても、計り知れない力を神に与えられていたから。「信じる者には、何でもできる」と言った主は、今も私達に語り掛けている。この御言葉を、主の約束を信じよう。主は私達も強くして下さる。生き生きと生きられるようにして下さる。これこそが境遇克服の秘訣。これを心に刻んでいよう。