メッセージ(大谷孝志師)
心に平安がありますか
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年2月16日
ヘブル4:12-16 「心に平安がありますか」 牧師 大谷 孝志

 今日の御言葉「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます」に、私は今から約60年前、高校の聖書研究同好会で初めて出会った。都立高校には珍しい同好会で、会員は三年生だけ、一二年生はいなかった。このままでは消滅の危機にあった会の先輩達が、存続の為に後輩の加入を祈り求めていたのだと思う。私がクラスの自己紹介の中でクリスチャンになったことを表明したことを聞いた一人の先輩が声を掛け、加入を勧めて来た。同好会に出てみると、十名程の先輩達がヘブル書を熱心に学んでいた。生徒会に認められた同好会で、文化祭でも展示室が与えられ、活発に活動していた。先輩が卒業するとどうなるかと思ったが、後輩の女生徒が与えられた。しかし会員が二名と言うことで、部室も返上させられ、顧問の先生も辞めた。でも、二人で教室の片隅や階段の踊り場で、見回りの人達に好奇の目で見られながらも、会を続けた。不安がないと言えば嘘になるが、夏休み後に一年の女生徒が入り、三人で文化祭の展示もした。すると校長が来て、自分も若い頃に教会に行き、クリスチャンになったと、かなりの時間、思い出話をした。残念ながら今は行っていないとのことだった。主は、私が聖書研究同好会を続ける力を与え、励ましと慰めを与えた。やがて卒業の時を迎えた。二人を残して不安はあった。卒業後、後輩から文化祭の展示を見に来て欲しいとの連絡があった。当日は日曜なので、前日に行くと10数名の部員がいて、賑やかに準備をしていた。主は全てを整える方であると知らされ、感謝した。

 人はこの世に生きている限り、様々な不安や恐れを感じ、悩みや苦しみを経験する。平安な日々を過ごしていても、病気になったり、ミスを犯したり、人間関係がうまくいかなくなったりして、困難な状況に陥ることもある。何故そうなってしまうかというと、自分の事も含め、相手の事も将来の事も、人には分からないから。分かれば、忍耐したり、方策を考えたりして、困難に対処ができる筈。では、人には為す術が無いかというとそうでは無い。この書の記者は、「神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています」と教える。人は自分の全てを神に知られていると知れば良いと言う。

 確かに人は弱い。間違いを犯し、分からなくなり、不安や恐れに囚われ、悩み苦しむ。しかし、主は私達のその弱さに同情できない方ではないと記者は言う。罪を犯さなかったけれども、私達と同じ人として世に生きたから。周囲に様々な人々がいて、それらの人の生き様を身をもって味わい、時には怒り、涙を流し、彼らを離れて一人山に退いた時もある。その主は、今も生きて働き、私達の全てを知り、心の思いやはかりごとを全て見抜き、見分けている。だから彼は、主に全てを委ね、主に助けて頂けば良いと言う。何故か、主は私達の為に自分を捨て、十字架に掛かって死に、私達を神の子として、神の愛と恵みの内に生きられるようにして下さったと私達が信じている方。だから、彼が「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折りにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」と言うように、主に願い求めよう。主は求める者に恵みを与える方。主は私の全てを知り、折りに適った助けを与え続けた。復活の日に弟子達の所に来て「平安があなたがたにあるように」と言った主は、今も私達にそう語り掛け、私達の心に平安を与えている。ハレルヤ!主に感謝!