メッセージ(大谷孝志師)
悪魔の試みを受けた主
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年3月8日
マタイ4:1-11 「悪魔の試みを受けた主」 牧師 大谷 孝志

 主はバプテスマのヨハネからバプテスマを受けた後、天から「これは私の愛する子。私はこれを喜ぶ」とのみ声を聞いた。それから主は、悪魔によって試みられる為に、ヨルダン川の低地から高地にある荒れ野に、御霊によって連れて行かれた。そして40日間断食をした。私も受難節に、主の十字架の死の苦しみを心に刻む為に断食をしたが、三日で空腹を覚えた。それを察した母が、牧師に断食を止めさせるよう訴え、私は止めたが、主は空腹を覚えず断食し続けた。主は、人となって世に来、人として世に生きたが、私達人間とは全く違う方。40日間断食しても平然とし、その後、空腹を覚えた。そして悪魔の試みを受けた。この後、主はガリラヤ全域を巡って御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆる患いを癒した。イエスの評判はシリア全域に広まり。人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊に憑かれた人などを身許に連れて来た。主は彼らを癒やしている。

 何故、神は主イエスがそのような宣教活動を始める前に、悪魔の試みをを受けさせたのか。悪魔はイエスに近づき、「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」と誘惑した。次に悪魔は「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい」、最後に「世の王国と全ての栄華を見せて、もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたに上げよう」と誘惑した。悪魔は、人として世に来た主イエスだからこそ、主に、人が生きる為に必要なものは何か。どうすれば人は安全に生きられるか。幸いな人生にするには何に頼れば良いのかを問い掛けた。

 神は、御子がこの問いに正しく答えられ得るかどうかを試したのだろうか。決してそうでは無い。神は試す必要はないと知りながら、悪魔の試みを受けさせた。その理由は、主が罪もないのに罪を告白して受ける悔い改めのバプテスマを受けた理由と同じ。ヨハネは「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたがわたしのところにお出でになった」のは何故かと問うた。すると主は「今はそうさせて欲しい。このようにして正しいことをすべて実現することが、私達にはふさわしいのです」と答えた。主は悪魔の試みを受けることが正しいから誘惑を受けた。世に生きる人は様々なものを必要とする。しかし人は、本当に必要なものは何かを知ることはできない。人の知恵や洞察力には限界があるから。

 主はここで、悪魔の誘惑に御言葉で答えることにより、本当に必要なものは何かは御言葉によって知ることができると教えた。しかし人は注意しなければならない、悪魔は御言葉をも用いて誘惑して来るから。主はその誘惑にも、御言葉が答えを与えてくれると教える。悪魔は人を神から引き離し、自分のものにしようと言葉巧みに、或いは様々な出来事を通して誘惑する。だからこそ私達は、日々聖書を読み、祈り、御言葉を求め、神との霊的交わりの時を持ちつつ生きよう。

 悪魔は、主に自分を現し誘惑して来たが、実はそうさせる為に、悪魔の試みを受けた。悪魔は、私達が日々必要とするものは自分で得られる、だから自分で求めよと誘惑しに来る。その見えない悪魔の誘惑、更には、自分の思いと御心を混同させる誘惑に、私達を御言葉によって立ち向かわせる為に、主は試みを受けた。

 主はマタイ6:32,33で「あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。先ず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」と言う。悪魔の誘惑を感じたら、「下がれ、サタン」と言い、ただ主にのみ仕える私達になろう。