メッセージ(大谷孝志師)
信じられた恵み
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年3月22日
ローマ3:21-26 「信じられた恵み」 牧師 大谷 孝志

 今は受難節。私達は、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって始まった新しい時に生きている。その事を心に刻み感謝する時。この手紙を書いたパウロは、この主の十字架と復活こそが、神が示した旧約聖書によって証ししていた神の義だと言う。「しかし今や」は、それ迄の古い神と人との関係がいったん消し去られたから。神は人を特別なものとして創造した。神と人格的関係を持ち、神を崇め、神を礼拝する者として。だが人は罪を犯し、神から離れたので、人が生きる世界には神が望まない破壊と悲惨が満ちていた。人に神に対する恐れが無いから。そのままでは、人は神の栄光を受けられず、罪人として滅びるしかない。しかし神は人が滅びることを望まない。神が神である為に神は人を創造したから。人は罪を犯した。神は義であるから、罪人である人間をご自分と共に生きるものとして受け入れら得ない。神はご自身が神である為に、人に神の義を与えた。つまり、神が人を創造した時の神と人との関係に回復させる為に、主イエス・キリストを信じることによって、信じる全ての人に神の義を与えることにした。その為に、神は愛する御子イエスを、人を愛する故に世に遣わし、罪無きイエスの十字架の死の贖いによって人の罪を取り除き、神の栄光を受けられる者とした。

 何故、神は御子を十字架という残酷な方法で殺される道を歩ませたのか。パウロは「神はこの方、つまり主イエスを、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示した」からと言う。全ての人に、自分の罪は、主イエスの十字架の死によらなければ、主が流した血によらなければ赦されないものだと知らせる為。何故二千年前のその時だったのか。神はその時と決めていたから。そしてその時の為に、ギリシアのアレキサンダー大王の東征により、ギリシア・ローマ世界がコイネーグリークという共通言語により一つの文化圏となり、その後、ローマの軍事力により、世界の道はローマに通ずと言われたように社会的、政治的に広大な国家が成立したから。それにより、御子イエス・キリストを信じる者はその信仰によって神の子となる資格を与えられることを、永遠の命を与えられて神が支配する国の民として生きられるという神の福音を、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、更に地の果てまで宣べ伝えられる状況が整えられたから。

 神は、御子イエスを犠牲の献げ物にするという大きな犠牲をご自身が払った。私達はその神の義と愛を心に深く刻む為に、忍耐をもって、人々の犯し続けている罪を見逃してきた神の思いを考えよう。旧約聖書には神の働き掛けを拒み続けて来た人々の歴史が記されている。神は人々を愛し、ご自分と共に生きる者とする為に、預言者等を選び、人々に遣わし、人々と関わり続けてきた。しかし人々は心頑なに神に自分を明け渡し、神に喜ばれる者、神に受け入れられる者となるのを拒み続けてきた。しかし神は今も忍耐をもって見逃しているのではないか。

 私達はこの受難節において、この神の忍耐は今も続いていると気付き、自分を顧みよう。神に自分を明け渡し、神に喜ばれ、受け入れられ者となろうとしているかと。ただ神の恵みによって、私達は救われ、神を礼拝し、恵みと平安を豊かに頂く者とされている。その為に父なる神と御子イエスが大きな痛みをもって私達を愛したかを思い、改めて「自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従って来なさい」との御言葉を心に刻み、この世に生きる者となろう。私達は神の恵みによって今生かされ、来たる永遠の神の国に入る道を歩んでいられるのだから。