メッセージ(大谷孝志師)
大切な役目です
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年4月26日
マタイ5:13-16 「大切な役目です」 牧師 大谷 孝志

 主イエスは「あなたがたは地の塩です」、「あなたがたは世の光です」とご自分に従って来た人々に言う。新約聖書原典が書かれているギリシア語は、人称、自制の変化を動詞の語尾で表すが、誰がを強調する場合には人称代名詞を付ける。主は「あなたがたは」という二人称複数形の代名詞を両方に付け、この事は非常に大切な事だと強調している。つまり、弟子達そして自分に従っている全ての人は「地の塩」「世の光」であると、神が既に決めているとことなのだと教えている。

 主は、弟子達を始め主に従う者に「あなたがたは地の塩です」と言う。地の塩は、地上で取れる塩だという意味でなく、彼ら、そして私達が、世の全ての人の為の塩であるという意味。地の塩であるとはどういう意味か。世の光と言われると何となく格好いいと思うかも知れないが、地の塩ではそれ程の感動は湧かない。でも塩の働きは大切。塩は食物の中に染み込んでいって、その食物を腐敗から守る。また、人は塩分を体に取り入れなければ死ぬ。キリスト者が地の塩であるということは、この世にキリスト者がいるだけで、世の人々が腐敗から守られ、神の御前に存在を許され、滅ぼされないと主は教えている。つまり、キリスト者は世の人々が救われる為に必要な存在、世の人々が神の祝福、恵みである命の水を飲める泉なのだと教える。キリスト者はそれだけ重大な役目を担っている。

 主がキリスト者を塩、次は光に例えているのは、キリスト者は自分の為に世に生きているのではなく、他者の為、世の人々の為に生きていることを意味する。

 だから主は「もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩味をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです」と言う。主が何故こう言ったかというと、岩塩は不純物と多く、湿気により塩分が失われると、役に立たず捨てられたから。世の人々が私達を通して福音に触れ、主イエスを信じ救われて、新しい人として歩めるようになる役目を果たさなければ、私達は神に捨てられ、世の人からゴミ扱いされると主は言う。随分と厳しい言葉だけれど、私達がキリスト者として生きない限り、世の人々は人としての正しい人生を歩めない。私達はそれだけ大切な役目を負っていると主は教えている。

 次も主はきっぱりと「あなたがたは世の光です」と言い切る。地の塩の時もそうだったが、主は、こういう生き方をする人、こういう資格を持つ人が世の光なのだと言うのではない。ここに注意しなければいけない。主の弟子であること、主に従っていること自体が、世の光ということ。その事を主は「山の上の町は隠れることができません」という言葉で表す。夜の闇の中、町の明かりはどこからでもはっきり、見え、町の存在を示していたから。主を信じ、主と共に生きる人は主に明かりを点けられている人。主は「誰も明かりをともして升の下に置かず、燭台の上に置く」と言う。私達は世の人々にとって光であり、暗闇の中に生きる人々を、光の中を歩めるように変える力を持つと主は教える。だから光らしく生きよう。暗く沈んだ顔では、主を信じて、主と共に生きる素晴らしさが世の人々に伝わっていかない。世の人々が私達を見てホッとする笑顔で、一緒にいたくなるような輝く笑顔でいよう。私達は「地の塩、世の光」だから。主は私達にその大切な役目を与え、主が点けた光を世の人々の前で輝かせられるように、共にいて、私達を整えていてくれる。自分達に与えられているこの素晴らしい役割を果たしつつ、地の塩、世の光としての人生を大胆に、そして力強く生きていこう。