メッセージ(大谷孝志師)

神の民とする為に
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2020年5月24日
聖書 使徒1:1-14「神の民とする為に」  大谷孝志牧師

 主イエスは復活後40日に渡って使徒達に現れて、ご自分が生きていることを、数々の証拠によって彼らに示し、神の国のことを彼らに話しました。その後、天に上げられたのですから、今年で言えば、先週22日の金曜にあたります。主はそれ迄も公生涯の中で神の国について数多くの譬えによって教えていました。何故40日間も掛けて神の国のことを彼らに話したのでしょうか。

 皆さんの中には神の国というと、死後に行く花が咲き乱れ、美しい天国を思い浮かべる人もいるかもしれません。でもギリシア語の「国」は「支配する領域」を意味します。王の権威が及ぶ範囲を示す日本語の「国」と同じで、神の国は神が支配する領域のことです。その神の国はどこにあるのでしょう。主は、マタイ12:28で「もう神の国はあなたがたのところに来ている」と言いました。神の国は高い空のどこかにあるのではなく、主イエスがいるなら、そこが神の国だからです。ですから「神の国」の「神」とは私達の主イエスです。何故そう言えるのかというと、主がヨハネ10:30で「わたしと父は一つです」と言い、14:9で「わたしを見た人は、父を見たのです」と言っているからです。そして復活の主はマタイ28:18で「私には天においても地においても、全ての権威が与えられている」と言いました。主イエスは父なる神に全権を与えられ、今、私たちの神としてこの世を支配しています。

 その主が40日に渡って神の国のことを使徒達に話したのは、主はやがて目に見えなくなるからです。主が目に見えなくなっても、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とマタイ28:30で主は約束していますが、見えない主が共にいることは、主の死人の中からの復活と同じように、常識では理解できないことです。勿論、今私達は主が共にいると信じ、主を礼拝しています。使徒達は、聖霊が彼らの上に臨み、聖霊に満たされ、目には見えないが主が共にいること、自分達は目に見えないが神の国に生きていると知ることができました。それは、彼らが聖霊に満たされる出来事が起きたからこそ理解できたのです。ですから主は「それはまもなく起きるから、エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい」と命じました。しかしそこで一つの大きな問題が生じます。彼らは「神の国」を自分勝手に解釈してしたからです。彼らは主に「イスラエルの為に国を再興して下さるのは、この時なのですか」と尋ねました。彼らは「国」と言われ、滅びて今はないダビデやソロモンの王国を考えてしまったのです。そのイスラエルの最も輝かしい時代の王国を、ローマが支配するこの地に再興するのは今なのかと尋ねたのです。こうあって欲しいと願っていることを主に願ったのです。主の十字架の死と復活は、確かに彼らに大きな衝撃と共に希望を与えました。彼らの人生観、世界観が大きく変わり、可能性が大きなものになりました。しかしそれは彼らが持っていたもの、無くしたものをより良いものに変えるだけだったのです。しかし神が行おうとしている事はそうではありません、神はこの世界を根底から覆し、全く新しいものにしようとしているのです。

 それは主イエス・キリストが支配する全く新しい世界です。それは、父なる神が定めている時が来れば、この世に到来する世界です。主はそれが、いつで、どんな時かはあなたがたは知らなくて良いと彼らに答えました。その時が分からなくても、その時まで、祈りつつ、じっと待てば良いからです。

 主イエスが世に来て十字架に掛かって死んで復活したのは、確かにイスラエルの為に国を再興する為でした。しかし私はその説教の準備の中で、それはダビデ、ソロモンの王国の再興ではなくて、エデンの園を復興することだと示されました。エデンの園にあった神と人との関係を回復し、この世が人が神と共に生きる世界にすること、人が主イエスを信じて救われ、神の民、神の国の住人となること、それが神が立てていた計画なのだと示されました。

 神が天地を創造した時、神は勿論いました。地は豊かでした。でもそれだけでは神の国とは言えません。そこで神は人を造り、地の一画にエデンの園を設け、人をそこに置いたのです。神と共に生きる人がいてこそ、そこは神の国なのです。しかしその神の国は、アダムとエバがエデンのその方追放され、失われてしまいました。ですから、神はこの世に神の国を復興する為に、御子イエスを世に遣わし、主イエスを信じる人を神の子、神の民とする計画を立て、実行したのです。そしてこの世に教会を設け、人々を教会に招き、主イエスを信じて救われた人々に自分に象って造った新しい人を着せ、神の国の住人としたのです。神は向島にも教会を設け、ここを神の国としました。私達は神の民、神の国の住人となり、ここで神の民として生かされています。

 主イエスは世の全ての人の主です。そう私達は信じています。しかし世の人々は自分さえ良ければ良いとの思いが強く、神、主イエスの存在を知らせても、信仰に頼るより、自分の力に頼る方が確実と考えています。そしてその隙を突くサタンに気付かずに支配されています。世は神の国であっても、まだまだ余裕があります。と言うより、神は「だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んで忍耐しておられるのです」皆が神の国の住人になり、恵みと平安を頂き、安心して生きて欲しいと願うからです。ですから、使徒達はサタンの妨害をはねのけて、神の福音を宣べ伝え、主イエスを信じるなら、救われ、神の国の民、住人となれると伝えました。主は「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じています。主は私達に神の民を増やす使命を与えています。主イエスはここに、私達と共にいます。神の国は来ています。世を神である主イエスが支配していると心に刻みましょう。

 しかしサタンはこの世に神の民が増えることを喜びません、激しく抵抗しています。ですから聖霊の助けを求めましょう。主イエスは使徒達に使命を与えた後、天に上げられ、見えなくなりましたが、彼らの側にいた御使いが主は再び来ると真実を教えました。同じように、私達は御言葉により見えない主の御心を知ることができます。私達にも主は見えませんが、私達の側には聖書の御言葉があるからです。聖書は私達にとって御使いです。使徒達が自分達が知らない真実を教えられたように、御言葉は私達の今の状況の意味を、為すべき務め、自分にできる事は何かを教えてくれるのです。感謝です。