メッセージ(大谷孝志師)
信仰は狭い門でも
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年6月28日
マタイ7:13-14 「信仰は狭い門でも」 牧師 大谷 孝志

主イエスは「狭い門から入りなさい」と言う。しかしある人が主イエスは冷愛たく、厳しい方だと言った。しかしこの言葉こそ、主が全ての人に語り掛けている福音。と言うのは、「いのちに至る門」は狭く、その道も細いけれど、門があり、その門を叩くなら、誰でも入れるとの主の素晴らしい知らせだから。いのちの門から入るなら、そこには誰が待っているのでしょう。私達の罪の為に十字架に掛かったて死んで復活し、天に上げられた主が待っている。主は言う。「滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入っていく人が多い」と。パウロはテモテへの手紙4:2で「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」と教えた。彼が福音宣教がいかに困難であるかを知るから。私達もこの地で福音を宣べ伝え続けているが、キリスト者の数は長い間人口の1%まま。99%の人々は教会に来ようとはしない。多くの人々にとって教会は正に狭き門になっている。

 それなのに、どうして「狭い門から入りなさい」が福音と言えるかと思う人も多いのではないか。また、命に至る門であるなら、その門から入れば幸せになるなら、主はどうしてその門を広く入りやすくしないのかと不審に思う人もいるのではないか。神が滅びに至る門は大きく、その道も広くしているのには理由があるのです。確かに私達の周囲には、広い道を通って、大きな門から入ろうとする人が大勢いるのは事実です。実はその先がどうなっているのか、何があるのかも分からずに歩いている人、その門から入っていく人が厭になるくらい、悲しくなるくらい大勢いるのです。日曜の午前中に町中を歩いたことがあるが、驚く程の人々がいた。何故でしょうか。命に至る門がとても狭いし、道も本当に細いから。

 主が言うように、見出すものが僅かしかいないから、世の人々はすぐに分かる広い道を歩き、大きな門から入って行く。キリスト者は何故、日本人口の1%前後のままなのか。主ははそれが神のも御心であると言う。全ては主の御心だから。では、1%の私達は何故キリスト者になったのか。何故、その細い道を見出し、狭い門から入って来のか。復活の主イエス・キリストに出会い、救われ、主の恵みと平安を頂き、安心して喜んで生きていられるのか。神が私達を選び、教会に招き、機会を与えたから。では、99%の人々を何故主は滅びるに任せているのか。

 そうではない。パウロがローマ10章で言う「同じ主が全ての人の主であり、ご自分を呼び求める全ての人に豊かに恵みを与えになる」方だから。そして主は、人を遣わしてその福音を全世界の人々に宣べ伝えさせている。それが私達の所に届き、私達がキリスト者になったから。主は救いの門を閉じてはいない。狭い門ではあるが、主は狭い門から入りなさいと言うから。確かに見出す者は少ない。主は大手を広げ、恵みを与えようと全ての人がこの狭い門から入ってくるのを待ている。私達は少数者、しかし少数者であることで臆せず、パウロが言うように時が良くても悪くても、しかりと忍耐強く御言葉を宣べ伝えましょう。彼はUテモテ2:9,10でこう言います。「この福音の為に私は苦しみを受け、犯罪者のように繋がれています。しかし神の言葉は繋がれていません。ですから私は全てのことを、選ばれた人達の為に耐え忍びます。彼らもまた、キリスト・イエスにある救いを、永遠の栄光とともに受けるようななるためです。」信仰は狭い門から入らなければならなくても門は開かれ、主は私達を見ている。心を込めて福音を伝えよう。