メッセージ(大谷孝志師)
御言葉を行う人に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年8月23日
ヤコブ1:19-27 「御言葉を行う人に」 牧師 大谷 孝志

 聖書を読んだり、祈ったりしている時に、今まで目にしていたり、聞いたりしていた聖句が、自分に語られている聖句として新鮮に心に響いてくることがある。そのように聖書の言葉を新鮮な思いで聞き取ったなら、それは恵みの時。その時、主の御心が私達の心に刻み込まれるという霊的出来事が起きている。私達人間は、直接主を見ることもその声を聞くこともできない。しかし、主は私達を愛し、勇気を出して御言葉を行い、神に喜ばれる者として、希望をもって生きて欲しいと願い、私達に働き掛ける。何故か。私達は主の大切な羊。そして主は私達の良い羊飼いだから。御言葉が新鮮に心に響いたのは、聖霊が生きて働いているしるしに他ならない。とは言え、それは聖霊の働きの残像のようなもの。他人にこれが主の御言葉だと示せるようなものではない。しかし、それは主が私達の心に植え付けた御言葉。主が私に語り掛けた御言葉として受け入れよう。その時、その御言葉は私達の内に力強く働き、私達を変え、新しい歩みを始めさせる力となる。

 昔ある姉妹が、悩みを聞いて欲しいと教会に来た。私は一生懸命に聞き、話をしたが、自分も相手も何となくすっきりせず。何か足りないと思った時、十字架の赦しの御言葉が足りないと気付かされた。聖霊が働いて下さった。「相手を責め、憎むあなたを、主は赦しています。主はあなたと相手の為に十字架に掛かって死んだのです」と言った時、自分だけでなく相手の心も軽くなったのを感じた。「御言葉はあなたがたのたましいを救うことができます」との御言葉は真実だった。

 私達は土の器。しかしこの土の器の中に素晴らしい宝を入れている。それは「この測り知れない力が、神のものであって、私達から出たものではないと明らかになるため」とUコリ4:7でパウロは言う。主イエスを信じた私達は十字架と復活の主が内に住む神の宮。主が生きて働き、私達一人一人と共にいる。その事の重さをしっかりと心に刻んでいよう。主は全てを知る。だからこそ、「聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。人の怒りは神の義を実現しない」との御言葉を真剣に聞く者となろう。教会は主が支配する世界だが、人間の集まり。だから、言葉の不足や理解の違いにより、怒りが生じる時もあるのは事実。だが、怒りによって人間関係が破壊されることを悪魔は一番喜ぶと知ろう。何より、十字架と復活の主を悲しませる。人間的な一時の感情に押し流されず、主が自分に何を語り掛けているか、自分がどう判断しどう行動することを主が喜ぶかを、互いに真剣に御言葉に聞き、行うことが必要。それにより互いの信仰が高められる。

 御言葉は私達の心の鏡と言える。私達の弱さ、愚かさをそのまま映し出す。だから、「愛しなさい」「献げなさい」「赦しなさい」「人に仕えなさい」との御言葉を聞いても、「主よ、私にはできません」と言ってしまうことがある。しかし素直に心からそう言えるなら、「自分を欺いて、ただ聞くだけの人になってはいない」。御言葉を受け入れている。主の十字架の赦しと愛によって生きる生活へと歩み出している。主は御言葉を行うことを私達に求める。行うことで主の恵みを味わえるだけでなく、主の助け無しには御言葉を行えないので、行うことで助け導く主の臨在を感じられるから。心をしっかりと主に向け、御言葉を行い、主に従おう。そうすれば「主はどこにいるのか」と探す寂しさを、「主は私を愛しているのか」と考える悲しさを味合わずに済む。主は絶えず私達に語り掛けている。御言葉を聞き、行い、主の恵みを味わい、主の愛を自分の生き方で表し証する者になろう。