メッセージ(大谷孝志師)
隣人を喜ばせられる人に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年9月13日
ローマ15:1-6 「隣人を喜ばせられる人に」 牧師 大谷 孝志

 パウロは「私たち力ある者たちは」と言う。彼は素晴らしい伝道者。彼の働きにより、多くの人々が救いに導かれ、、地中海のアドリア海沿岸の多くの地域に教会が誕生した。彼が書いた多くの手紙が信仰の指針を示す正典として新約聖書に残されている。彼は何故そのような働きが出来たのか。彼はユダヤ社会の中でエリート中のエリート。しかし決してそのような自分を誇らず、「誇る者は主を誇れ」と言う。この世には力のある者と力の無い者がいるのは事実。世の力有る人は、力の無い人を下に見てしまうことがある。力の有る人は無い人よりも多くの仕事を託されるのは事実だが、その仕事によって自分が評価されると知るので、自分をより大きく、高く深く見せようとしてストレスが貯まることがある。無い人は自分の有用性や存在意義を見い出せず、駄目な自分に押し潰されそうになることも。だからこそパウロは「力のある者は、力の無い人の弱さを担うべき」と言う。それには一体感が必要、同じ立場で共に生きようとすることが必要。人は誰も自分を喜ばせようとする。自分が生きていることが素晴らしいと感じられるのは、素晴らしいことだが、自分は何の為に生きているのか、生きていて何の役に立つのかが分からなくなってしまったら、それ以上に辛いことはないのではないか。

 力の有る人、強い人は、積極的に物事を考え、自分に取って良い方向を見出し、進むことができる。しかし力の無い人、弱い人は、どんなに頑張っても自分は駄目だと諦めてしまい易い。弱い人が自分の人生を生き生きと生き、強い人もその場その時だけでなく、自分の人生を確かなものとして生きる為には、自分の為に生きるのではなく、自分が喜んでいればそれで良いとするのでも無く、相手も自分も人生を楽しめるようにし、両者共に生きているって素晴らしいと感じられるようにする事が必要。その為には、力の有る人が力の無い人の弱さを担うべきと彼は言う。人が無人島で一人だけで生きていたら、自分が人であるという認識は徐々に薄くなり、やがて無くなる。人が生きていると言えるのは、他の人と共に生きている時。人は一人だけでは人として生きられない。しかしそれ以上に必要なのは、神と共に生きること。神は神と共に生きる者とする為に人を造ったから。

 人が生き生きと生きるには霊的な成長が必要。無人島でも食べ物、飲み物があれば人は生きられる。しかし、それでは動物として生きているだけ。パウロは何故、隣人を喜ばせるべきと言うのか。人が自分中心の生き方から、神中心の生き方に変えられる必要があるから。どうしても人は自分中心に物事を考えてしまう。だから、自分を喜ばせず、隣人を喜ばせようとすることによって、人は自分の殻から出られる。それは自分の事より相手の事を優先する事であり、自分の生き方が根底から変わることになる。それは人の力では無理。聖書が与える忍耐と励ましが必要。だから、隣人を喜ばせようとする事が霊的成長に繋がる。それが相手にも良い影響を与え、互いの霊的成長に繋がる。この人にとってとても喜ばしい生き方をパウロは教える。しかしそれは簡単にできる事ではない。御霊の助けが必要。自分を喜ばせず、隣人を喜ばせる為には大きな力が必要だから。更に悪に引きずり込もうとする力に負けずに、忍耐強く、希望を持ち続けることも必要。互いに隣人を喜ばせられる人になると教会は変わり、真にキリストの体となる。地の塩、世の光となり、世の人々を隣人として喜ばせられる働きができる主が喜ぶ教会に。知恵と力を豊かに与える御霊に導かれ、希望を持って歩み続けよう。