メッセージ(大谷孝志師)
教会は心の休憩所
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年10月4日
マタイ11:28-30「教会は心の休憩所」 牧師 大谷 孝志

 諺に「人生一寸先は闇」がある。ほんの少し先のことでも人には分からないという意味。新型コロナウイルスの感染拡大による社会の変化を、今年初めに予測した人は殆どいなかったと思う。来年、オリンピックを開催できるとする人もいるが、これがどうなるかも誰にも分からない。しかし、先の事が分からないと言っても、人は生きていかなくてはならない。不安や恐れを感じていても、なるようにしかならないのだから、出来る事を、しなければならないと思う事をすれば良いと前向きに生きる人もいれば、不安や恐れに押し潰されてしまう人もいる。しかし、前向きに生きようと思っても厳しい現実の前に何もできず、人生を諦める人もいる。しかし、世に生きる一人一人には素晴らしい将来が備えられていると分かれば。その人にとって、人生が全く違うものに見えてくるのではないか。

 教会がここに建てられているのは、神がこの世の人々にその事実を知らせる為。それは世の人々が常識だと思っているのとは全く違う人生についての事実、真実。私も度々、先の事が全く分からない状況に立たされた。今の自分には分からないが、主イエスが私と家族にとって最も良い道を備えていると信じられた。今直面している事に全力を注いで生きることができた。ここに主イエスを信じる信仰の素晴らしさがある。教会、信仰の世界は、世の中の常識を越えた世界だから。極端に言えば、世の中で普通の事が普通でなく、異常に見える事が当然な世界。

 世の中では人は全てとは言えなくても、ある程度の事は自分で決められる。自分がこの世界の主だから。しかし、信仰の世界ではイエス・キリストが自分の主。そして、見える世界が全てではなく、見えない世界に自分は生きていると信じる。だから見えるものに不安や恐れを感じたり、落ち込んだりせず、前向きに生きられ、思う通りに、期待通りにならなくても、これが自分に取って一番善い事だと信じて努力し、希望をもって前進できる。それを知らせる為に教会がここにある。

 主イエスは、敵を憎まず愛せと命じ、人が自分の友の為に命を捨てる事これより大きな愛は無いと教えた。それはこの世では異常で、他人がすれば素晴らしいと思うが、自分は決してしたくないと考える事。極端だ、不可能だと思うかも知れないが、皆がそんな気持ちで生きられたらどんなに素晴らしいか、と思う事。このどんな人でも愛し、心から受け入れるという信仰の世界では当然の事が、この世では当然な事ではない。人が人として自分らしく、自分を大切にしながら、お互いに相手を大切にできる世界、それが教会であり、信仰の世界。この世では相手を信じ切る、相手に自分を委ねるのはとても難しい。だから自分の力で何とかしようとし、苦労し、将来に不安や恐れを感じ、疲れ切ってしまう。主イエスは人々のその現実を知るから、そして全ての人に平安を与えたいから「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言う。主は心の休憩所。そして、目に見える私達の教会も、誰が来てもほっとできる心の休憩所。既に教会に招かれている私達が先ず実践して、人が互いに愛し合い、受け入れ合える不思議な場所だと世の人々に示そう。

 神がこの地の人々を愛し、恵みと平安を与える為に建てられた教会が、人々の心の休憩所となる為に、主イエスの「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」との御言葉をしっかりと心に刻んで歩もう。そして弱い自分を自覚し、聖霊の助け導きを祈り求めつつ、地の塩、世の光となって歩もう。