メッセージ(大谷孝志師)

私達も預言者
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2020年10月25日
聖書 エレミヤ1:1-19「私達も預言者」  大谷孝志牧師

 第四聖日にしてきた旧約聖書の学びは、先月で伝道者の書を通しての学びを終え、今月からエレミヤ書に替わります。この書を記したエレミヤが神の言葉、御心を、国々に伝える預言者となる召命を受けたのはB.C.626年で、二十歳前後と言われています。1-3節を見ると、エレミヤとは誰か、預言せよとの召命がいつ彼に臨み、どれくらいの期間続いたのかが三人称で記されています。4-19節には、彼がどのようにして神から召命を受けたが、主と彼の言葉により記されています。ここから私達は神の選びについて学べます。

 神が立てた預言者の中にイザヤがいます。彼は紀元前8世紀に活動した預言者です。彼は「主は、母の胎内にいるときから私の名を呼ばれた」と言い、新約聖書に多くの手紙が残されている伝道者パウロも「母の胎にいるときから私を選び分け」と自分が預言者、主の働き人として選ばれた時のことを、振り返って記しています。エレミヤも、主が自分に「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り(選びの意)、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し」と言っています。これらの事から、主の選びはその人の存在に先行し、主の意思によって行われるということ、そして選ばれた預言者の一生と職務は、主が既に定め、その通りに行わせると教えられます。

 主に選ばれた時、モーセは自分の才能に躊躇し(出エジ4:10)ました。イザヤは主を見た時、自分と民の罪の故に自分は滅びると恐れました。エレミヤも「主よ、ご覧下さい。わたしはまだ若くてどう語って良いか分かりません」と言います。預言者は自分が主の御前にいると知るとその事の大きさ故に、自分の弱さ、足り無さを挙げ、自己弁護します。しかし主はその人の資質を見て選ぶのではありません。主は彼の全てを知った上で、国々の預言者と定め、遣わすからです。彼は主が遣わす全ての所に行き、主が自分に命じる全てのことを語れば良かったのです。とは言え、預言者の活動が困難に満ちていることは彼にも容易に想像できます。だから主は、彼に何も心配するなと言い、御手を伸ばして彼の口に触れたのです。彼は自分が聖い者、御言葉を語れる者とされ、諸国の民と王国の上に立つ人に任命されたと知りました。彼は主の全権を委ねられたのです。彼は旧約の時代の預言者でした。では、私達はどうなのでしょう。新約の時代に生きている私達も預言者なのです。神はいつの時代にも、御心を伝え、人が神と共に生きる者となる為に必要な御言葉を語る預言者を必要としているからです。ですから、十字架と復活の主イエスは今、私達と共にいて、世の人々に福音を伝える使命、語るべき神の言葉を与えています。私達も預言者として、罪の中に生きるこの世の人々に神が知らせよと命じている人としての正しい生き方を告げる働きを与えられているのです。これから暫くの間、第四聖日に、神がこの世に遣わしている預言者として何をし、どう生きるべきかをエレミヤ書を通して学びます。

 エレミヤは神から権限を委託され、人々に決定権を持つ預言者に任命されました。神が彼の働きを必要としたからです。私達も必要とされています。

 彼が活動した当時は、周囲の強国が互いに牽制し合い、南ユダとエルサレムの人々は比較的安定期にありました。しかし偶像礼拝を捨て切れなかったのです。それを見過ごせなかった神は、預言者を遣わし、真の神を礼拝し、従わなければ滅びるとの御言葉を伝えさせました。しかし、今は安心で安全な生活ができていると思っていた彼らは、預言者の言葉を神の言葉として聞き従う気になれなかったのです。それに、神がその御言葉を実行するかどうか、先の事は誰にも分からないではないか、と考える人が殆どだったのです。

 聖霊は私達に、世の終わりに主が再び来て、主は信じない者を滅ぼすと聖書を通して教えています。そして神は「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)との計画と約束を伝える預言者としての務めを私達に与えています。「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」(IIペテロ3:9b)からです。預言者は先の事を言う人ではなく、神の約束、計画を伝える人です。新型ウイルスの蔓延による社会不安はあっても、日本社会は比較的安定していますが、神が世を裁き、滅ぼす日が来ると言っても、殆どの人はそれが事実起きるとは信じようとしなかった彼が活動した時代の人々と似ているように思います。

 さて、神はエレミヤに「あなたは何を見ているのか」と尋ねます。それは彼が困難な状況の中で預言者として働く為には、神が御心を必ず行うという更なる確信が必要だと知るからです。彼はこの時、アーモンド(見張るものと呼ばれていた木)の枝を見ていました。神は「あなたの見たとおり、私は、私の言葉を実現しようと見張っている」と言います。私達が疑問を抱き、悩む時、神は、御言葉を実現するとの答えを、既に私達の目の前に置いていると聖書は教えます。再び神は「何を見ているか」と尋ね、彼は「煮え立った釜が北からこちらに傾いている」と答えます。すると神は、それは私が北の諸王国を招集し、ユダとエルサレムを襲わせ、裁きを下すしるしだと、彼が見たものの意味を告げます。裁きの理由は、彼らが神を捨てて、偶像の神々に供え物をし、自分の手で造った神々を拝んでいたからです。その為に彼を遣わすから、準備をして闘いに臨み、命じる全ての事を語れと命じたのです。

 主イエスは、私達にも大宣教命令(マタイ28:18-20)を下しています。神は臆し脅えるエレミヤの弱さを知り、私が共にいるから私に敵する者達は彼に勝てない。私が彼を救い出すからと励まします。主も使徒達を宣教に遣わしました。主は彼らと共にいて、その働きを助け導き、彼らが伝えた福音が御心であると、それに伴うしるしをもって確かなものにしていたことが使徒の働きに記されています。この教会の歩みの中でも、主が力強く働き、主が御力をもって支えているしるしを何度も目にしています。主は今も生きて世の人々が教会に来て主イエスを信じる者になるのを待ち、働き掛けています。その主が私達にも、御心、神の福音をまだ知らない人々、滅びに向かって生きている世の人々に、神からの良い知らせを伝える者、預言者になれと命じています。エレミヤ書を通して、自分を必要として招いている主の言葉を聴き取り、預言者となって、臆し脅えずに、主の御業に励む者になりましょう。