メッセージ(大谷孝志師)
幸せが滲み出る信仰
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2020年11月22日
Uコリント2:14-17「幸せが滲み出る信仰」 牧師 大谷 孝志

 今年も残り一ヶ月余りとなり、来週からアドベント、主の御降誕を待ち望む時、クリスマスソングが街に流れる時に。新型コロナ感染の中、厳しい日々が続くが、今年も豊かに祝されたクリスマスとなるよう、心を合わせて共に待ち望もう。

 クリスマスはサンタからプレゼントを貰ったり、ケーキを食べる日ではない。 神が御子を世に与えたことを感謝する日。教会に連なる者だけでなく、世の全ての人々にとって大切な日。全ての人の救いの為に主が誕生したことを祝う日だから。主は私達がその為に、主を信じる者として、その使命を果たしていくことを求める。

 その為にはどうしたら良いのか。昔、福沢諭吉が「天は自ら助くる者を助く」と言った。かなりの人々がこの言葉を耳にし、心に留めていると思う。これは、私達主を信じる者にとっても非常に意味深い言葉。何故なら、助けるのは天、つまり救うのは神であると教えられるから。自分が自分を、或いは他の人を救うのではなく、主が救って下さる。次に教えられるのは、天は自分を助ける者を助けること。救われたいと願う人を主は救うということ。周囲が幾らやきもきしても、当人が救われたいと思わなければ、願わなければ、どうにもならないのが現実。だから、ここから教えられる大切な事は、救われるには、自分の努力、良い行いの積み重ねが必要なのではないということ、自分は救われたいと神に願えばよいということ。それだけで十分。だから、主イエスの教えは福音と呼ばれる。

 でも、主は私達に「愛の戒め」を説き、「祈りなさい」「求めなさい」と良い行いをするよう命じる。何故か。誰でも、それが願うに値するものと感じなければ、願う気になれないから。教会やイエス様を知らない人達が、教会って良いな、イエス様って素敵なんだなと感じることが、救いへの願いを起こさせるのであり、そう願う人を主が救って下さる。その為には、日常の教会生活の中で、主が喜ぶ生きか方をすること、そして世の人々が良いなと感じられる良い行いが出来るように、一人で、或いは共に祈り求めることが必要に。しかし、恋と信仰にはある種の共通点があるとある人が言った。「忍れど 色に出にけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで」という歌があるように、主イエスを信じていると、その幸せ、喜びが滲み出て、周囲の人には分かる場合があると。でも、滲み出る人と出ない人がいるのも事実。命がけの恋と言える程、相手を恋しく思うと人に分かるように、主イエスを信じていると言いながら、自分の常識の範囲内で信じていると滲み出てこない。主を心から、命掛ける程信じ、委ねよう。そうすると幸せが滲み出て来る。

 世の人に救われるって良いのかなとの思いが起きるには、日常の教会生活の中で、主を信じていることの幸いが滲み出るように私達自身が生きることが大切。信仰者としての生活が豊かなものになれば良い。だが、その為に先ず基本に立ち帰ろう。礼拝に出席、献金、奉仕し、友人、知人、家族でも一人を教会に導こう。これは義務ではない。主が祝福し与えるもの。主が助けるから出来る事。それに気付かないと自分が傲慢になり、人を裁く基準に。主は自ら助ける者を助けるから出来ると感謝しよう。来年度のテーマに「一人が一年に一人を礼拝や集会に誘う」を掲げようと思う。誰もが幸いな生活を願う。だからその為に、主は自ら助ける者を助けると心に刻み、自分の信仰生活の充実を願い、主が助けると信じ、主と共に歩もう。主は助けて、人を教会に加え、教会生活に喜びを与え、礼拝や集会を更に喜びに満ちたものとし、信仰の喜び、幸せが滲み出る私達にするから。