メッセージ(大谷孝志師)

推測を確信に変える神
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2020年12月13日
聖書 マタイ1:18-25「推測を確信に変える神」  大谷孝志牧師

 先週のマリアへの告知に続き、夫ヨセフへの受胎告知を通して、主イエスが誕生した理由と目的を共に学びます。ヨセフは、何故マリアを密かに離縁しようとしたのでしょう。二人が正式に夫婦としての生活を始める前、マリアが父の家で純潔を保たねばならない期間に、聖霊によって妊娠したと彼女に知らされたからです。離縁しようと「思った」は決心したという意味です。彼は妻の妊娠が聖霊によるものと聞いた筈です。彼は妊娠が御心であると知っているのに、密かに離縁しようと決心したことになります。

 彼は正しい人、神の掟を落ち度なく守り、行っていた人でした。聖霊に依ると妻から聞き、御心と思っても、彼には確認する手段がありません。御心によると思っても、自分では確認できず、推測するしかないのです。更に、世の人は、彼女の妊娠を知れば、ヨセフは神の掟を守る正しい人だから、彼以外の男による妊娠と判断する筈です。聖霊に依って妊娠したことを世の人々に証明するのは不可能です。とは言え、離縁して父の家に帰しても離婚と同じですから、彼女は大きな傷を受けてしまいます。ですから、離縁すべきかどうかを思い巡らし、実行できず、悩んでいたのでした。

 ここで、私達が注意しなければならないことがあります、彼女から妊娠の事実を聞いても、神が彼女に行った事だと彼が信じ切れなかったことです。実は、私達が主イエスを信じて救われた、と言う時も同じなのです。マリアは聖霊に依ると信じました。だから、ヨセフに事実を告げました。しかし、彼女に出来るのは事実を告げることだけなのです。証明は出来ません。私達も、私は主イエスに救われました。主イエスは今も生きて働く救い主です、と家族や友人に知らせることは出来ます。しかし彼らのように証明は出来ません。ヨセフは信じ切れず、自分が決心し行う事が、本当に彼女の為になるのか迷い、彼女の事を思うと実行できずにいたのです。

 しかし主の御使いが夢に現れ、彼に正しい決断と実行をさせます。御使いは「恐れるな。あなたの妻マリアを迎え入れよ。彼女の中の生まれる子は聖霊による」と言いました。彼女から同じ事を聞いていました。しかし信じ切れなかったのですが、御使いが、彼女の言葉は正しく、妊娠は御心によると教えたのです。それによって、彼の心に、彼の人生に大きな変化が生じたのです。この出来事は私達と無関係ではありません。私達にも内に住む聖霊が「恐れるな。主がお前を救った。お前の家族も救う。私はお前の内にいて、お前とお前の「家族」を助け導く」と語り掛け、御心を示しているのです。心を鎮めて、御霊が静かに示す御心を聞き取りましょう。主にしっかりと心を向け直しましょう。私達の人生も新しく変えられます。

 ヨセフはマリアを傷付けようと考えてはいません。自分が置かれた状況の中で何が一番良いかを考えても結論が出ず迷っていたのです。人には自由が与えられています。ですから直面した事態を自分で判断し、決断せざるを得ません。ですから、彼は自分の心の中で煩悶するしかなかったのです。それが私達の人としての現実です。しかし私達も変われます。彼に主の使いが現れ、真実を告げました、その新しい時、世界に私達も生きているからです。ここに私達の希望が示されています。人には先の事も、真実は何かも分からないから、推測します。しかし推測に過ぎません。自分の言動が相手を傷つけると思えば、何が正しいのかが分からなくなり、彼のように煩悶するしかありません。しかし私達が生きる世界は、神が全てを支配する世界のなのです。神は私達の全てを知り、必要な時、人が求める前に、神が助け手を送り、なすべき事、正しい事、真実を教えます。推測は推測であり、確信を得られません。しかし御言葉が心に響いたと感じたら、その思いを大切にし、御言葉に従いましょう。神は喜び、私達は、推測が確信に変えられたの感じます。そして、正しいと思った事、しようとした事を行い、新しい人生に踏み出す勇気と安心を私達は与えられます。

 主の使いはヨセフに「恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」と言いました。神は、ヨセフに恐れがあるのを知っていました。マリアの妊娠により彼が直面している現実は恐れる必要がないものと教えたのです。婚約期間が終わる前に妊娠した彼女の重荷とその彼女を妻に迎えることで人々から受けるであろう重荷を受け止めよと神は命じました。続いて神の使いは「マリアは男の子を産みます。その名ををイエスと名付けなさい」と言います。生まれる子の名を神が指示したことは、神がその子の一生に責任を持つとの宣言です。そして、神がヨセフに名付けを命じたのは、ヨセフをその子の父としての責任を与えたことを示します。神はヨセフにマリアの夫となることを命じたと共に、イエスの父となることも命じたのです。それは自分が神と共にいる者となることへの決断でもあります。彼は自分の全てを主に委ねる大きな決断をしました。イエスが自分と共にいることは、神が共にいることと知らされ、彼の推測が確信に変えられる出来事が起きたからです。生まれたイエスは乳飲み子に過ぎません。でもその乳飲み子に彼は神の臨在を確信できたのです。不思議ですが素晴らしい事です。次週、私達は主の降誕を祝い礼拝します。主が共にいることを認め、感謝します。ヨセフが人生の全てを主に委ねて従ったように、主は、私達に全てを委ねて私に従えと、招いています。主の降誕は私達の推測でも思い込みでもありません。事実です。そう確信し、心からの感謝をもって主の降誕を祝いましょう。