メッセージ(大谷孝志師)

偶像礼拝からの脱却
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2021年1月3日
聖書 使徒17:16-21「偶像礼拝からの脱却」  大谷孝志牧師

 私達は今朝教会に来て「新年明けましておめでとうございます」と挨拶を交わしました。キリスト教諸派の教会暦では、一年は待降節に始まっています。クリスマスカードに「Merry Christmas and Happy New Year」と毎年書いてくる人がいます。私にとってもこれは正解なのです。私は、新年はクリスマス、主の降誕に始まると考えています。神の御子が世に生まれることによって、新しい時が始まっているからです。更に言うなら、主を信じる人にとっては、おめでたいのは新年が来たからではありません。可笑しな言い方かも知れなませんが、キリスト者はいつでもお目出たい人なのです。何故かと言うと、神が共にいる恵みと平安に溢れる世界にいつも喜んで生きているからです。幼い頃父に、北千住の荒川放水路の土手に連れて行かれ、元旦、初日の出に手を合わせるように言われ、こうすれば自分達家族が幸せになるのかと思い、素直に手を合わせました。しかし、太陽の光以上に輝く真の光として、主イエスがこの世を照らしていると知ってからは、毎日がめでたい日だと思っています。とは言え、新年という区切りを持ち「物事全て改まる新年」を迎えることは、私にとっても良いものです。様々な事、中でも新型コロナの感染を防ぐことに著しく注意を払わなければならなかった一年が過ぎ去ったとの思いを持ち、新しい年の歩みを主が整えて下さるという希望に満ちたものを感じられるからです。

 さて、正月多くの人が、神や仏に御利益を求めて神社仏閣に初詣に行きます。偶像礼拝をする大勢の人々のニュースを見て、憤りを感じますか。パウロは、ギリシアのアテネ市内に入った時、沢山の偶像を見て、憤りを感じました。ギリシア神話、日本神話には多くの神々が登場します。本当は、私達も初詣の光景に憤りを感じなければならないのですが、そこまで感じられず、パウロは偉かったなとか、私達の信仰は私達の信仰、彼らの信仰は彼らの信仰だと割り切ってしまっていないでしょうか。しかし彼は我慢できませんでした。ユダヤ人と神を敬う人たち(ユダヤ教を信じる異邦人)に「あなたがはこの状態を許せるのか。偶像礼拝する人々に神に裁かれ滅ぼされるから、真の神を礼拝しなさいと教えないのか」と毎日論じ合ったのです。17:32を見ると、人々の受け止め方は決して好意的ではなく、彼の憤りは空回りしたように見えます。しかし、彼らに興味を持たせ、詳しく聞きたいと思わせたのです。主も「求めなさい。たたきなさい」と教えています。求めれば与えられるのです。しかも彼は、聞く人々に嫌悪感無しに興味を持たせ、アテネ市の会議場で堂々と福音を語る機会を、アテネの人達に与えられました。彼の憤りと熱意には大いに学ばされます。

 パウロに力強さを感じますが、彼が自分の内から生み出したものではありません。それは主が私の為、全ての人の為に生まれた救い主と信じる人に注がれ、与えられる主の愛の力なのです。主は私達にも愛の力を注いで、彼が経験したように、聞く人々の堅い心の扉が開き、私達が伝えるイェスと福音に興味を持たせるという出来事が起きると信じ、主に求めましょう。

 さてパウロは、連れて行かれたアテネの会議場アレオパゴスの中央に立ち「知られない神に」と刻まれた祭壇のことを用いて、議員達に本当の神について話し始めます。何故人々はそんな祭壇を造ったのでしょう。以前、初詣の梯をする人がいると聞いたことがあります。一つの神だけでは不安だからだそうです。神社の中にはここにお参りすれば様々な多くの神々を拝んだのと同じ御利益があると言う所も有ります。考えると、この不安が日本で「八百万の神々信仰」を生み出したとも言えるのではないでしょうか。アテネの人々も、同じ様な不安を持ち、自分が知らずに拝まなかった神から罰を受けないようにその祭壇を造ったのです。唯一の真の神を知らないから、そのような祭壇を持たざるを得ないのだと彼は彼らに教えたのです。

 パウロは「真の神は天地万物を造った全地の主なのです。ですから、手で造った宮には住みません。全ての人は、神の中に生き、動き、存在しています。人間の技術や考えで造った物を拝むのは間違いなのです。皆さんがこの町にある神々を拝んでいるのは、神が時が満ちるまで見過ごしにしてきたに過ぎないのです。今や神は、全ての人がこれ迄の生き方を変えて、真の神に立ち帰り、人として正しく神と共に生きられるようにしたのです。その為に、全ての人に悔い改めを求めています。何故なら、全ての人が新しく造り替えられ、正しい人となる為に一人の方を遣わしたからです。神は、全ての人を悔い改めに導く為に死んだこの方を復活させ、ご自身こそが唯一の真の神であると明らかにしたのです。ですから様々な神々を拝まず、私達が宣べ伝える神を礼拝すれば良いのです」と教えました。彼は、神の御心と御業を宣べ伝えたのです。しかしそんな事を急に言われても、常識では考えられない事だったのです。人々は嘲笑い、馬鹿にしました。しかしある人々は彼に従い、信仰に入りました。彼の熱意が届いたのです。

 私達は新年を迎えたこの時、世の人々が、八百万の神々を拝む必要の無い新しい時に今生きていることを、心を込めて伝えましょう。人々が嘲笑い、馬鹿にしようとも、それは真実なのです。主の十字架と復活により全ての人に救いの道が開かれています。主を信じるなら、恵みと平安が豊かに与えられ、安心して喜んで生きられると私達は知っています。体験しています。世の人々の為です。偶像礼拝する人々を見捨てず、この状態を許してはいけないとの思いで福音を伝えましょう。主が力と実りを与えます。