メッセージ(大谷孝志師)

神の思いを知ろう
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2021年1月24日
聖書 エレミヤ3:1-13「神の思いを知ろう」  大谷孝志牧師

 エレミヤの時代、サウル、ダビデ、ソロモンと続いたイスラエル王国は、ソロモンの死後、南北に分かれました。北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南ユダは辛うじて存続しますが、王達がエジプトや偶像に頼り、神の怒りを買い、バビロニアに滅ぼされます、主だった人々がバビロンに連行されますが、彼はバビロン軍に厚遇され、ユダに留まりますが、その後、エジプトに助けを求めた人々にエジプトに連行され。その後、消息は絶えます。

 さて3章にも2章と同じく、イスラエルとユダの神に対する罪を姦淫にたとえた比喩とその民の不実と背信への非難が記されています。彼らはカナン地方に定住したことで、遊牧生活から農耕生活に変わり、先住民であるカナン人と同じような生活をするようになりました。その結果、先祖達が体験し、保持していた信仰心が薄れ、偶像礼拝に堕ちていってしまったからです。しかし彼らは、自分達は神の民であるとの自覚を捨ててはいません。神を信じ、神の憐れみと恵みを求め続けているからです。しかしそれでも彼らは非を認めず、神は神の民である自分達に冷たいと不平を言います。

 神は預言者のイザヤやエリヤを遣わして、偶像礼拝に走る民を、神の民として相応しい生き方をするよう働き掛け続けました。しかし彼らは権利のみを要求するだけで、偶像礼拝を止め、神のみに従うことをしなかったのです。ですから神は、アッシリアを用いてイスラエルを滅ぼしました。しかし、ユダは彼らが自分達の罪の故に神に裁かれ、滅ぼされたと彼らを蔑んだ。しかし、主はエレミヤに「背信の女イスラエルよ、帰れ、私はあなたがたに顔を伏せはしない。わたしは恵み深いから。わたしは、いつまでも恨みはしない。ただ、あなたはあなたの罪を認めよ。あなたはあなたの神、主に背いて青々と茂るあらゆる木の下で、他国の男と勝手なまねをし、わたしの声に聞き従わなかった。」と言わせます。しかし、神が立ち帰れと命じても、主の御心を軽んじ、背を向け続けたイスラエルに、何故神はに立ち帰るよう求め続けたのでしょうか。それは「わたしが、あなたがたの夫であるからだ」と神は言います。神は彼らが背を向け続けても、愛し続ける方なのです。この神の愛が「実に、そのひとり子を与えになったほどに世を愛された」という主イエスの十字架の出来事に現されているのです。この神の愛がいつの世においても全ての人に注ぎ続けられています。だから私達は今ここにいるし、家族や友人知人をここに加えられるようにと私達が祈り求め続けているのは、神がその人々の主であり、その人々を愛し、ここに招いていると信じるからです。

 私達は今十字架に掛かって死に、復活した主イエスを信じて救われ、或いは主イエスが救い主と知らされ、信じようと礼拝を守っています。主が月に一度旧約聖書を私達に学ばせているのは、この旧約時代の人々の学びを通して、私達が初心に立ち帰り、この世で生活する中で、神以外のものに惹かれ、私達を愛する神に背を向けていないか、信仰を吟味し、「堅く立って動かされることなく、いつも主のわざに励」む者となるよう神が求めているからです。

 勿論、旧約時代の人々は神を知っています。私達よりもっと身近に感じていたと思います。でも主の十字架の時が来ていないので、悔い改めて神に立ち帰れば、罪を赦され、恵みと平安が与えられ、神の民として永遠に生きられることを知りません。旧約時代にも、神に受け入れられ、永遠に生きる者達がいました。でもそれは例外的な人々に限られていました。主イエスを信じる者が神の子とされ、永遠の命を与えられる時がまだ来ていないからです。

 しかし、神が御子を世に与え、新しい時が始まっています。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と御子イエスが福音を伝え、キリストの言葉が使徒達により「全地に響き渡り、先の果てにまで届」いています(ロマ10:18)。でも、世の人々は旧約時代のように、御心を知らず、自分の欲望のままに生きています。心が闇で覆われているので、神が救いの手を差し伸べているのを知らずに、その闇の中で右往左往しています。ですから、神はその彼らをどう見ているかを、旧約聖書を用いて知らせているのです。

 神は、自分の民が他の神や人に従いながら、私に平安と守護を求めていると言います。私達の周囲の人々も様々な不安を感じると、旧約時代のように様々な神々や人々に助けを求めています。神が人々を愛し、自分に立ち帰り、神の民となることを求めていますが、人々は神が自分の真の神であり、恵みと平安を与える方と知らないので、教会に背を向け、来ようとしまません。
 神はエレミヤに命じたように、私達にも世の人々に向かって「背信の人々よ。真の神に立ち帰れ」と叫べと命じています。。世の人々の為に御子を与え、御子を信じる者を神の子とし、永遠の命を与えると約束している神はこれまでも様々な人を世の人々に遣わし「私はあなたの神、あなたは私の民」と知らせています。神はこの世の誰も滅びず、全ての人が悔い改めに進むことを望んでいるからです。神は今も世の人々の闇の中での叫びを聞いています。私達が伝える福音は、その人達の現実を知る神が用意し、与える恵みと平安を与える為のものなのです。主イエスを信じるなら誰にでも与えられます。

 今日の御言葉は、旧約時代の人々にも、神は暖かく、そして厳しく人々の心に呼び掛けてますしかしはエレミヤを通して神の言葉を聞いた人々は、神の呼び掛けに答えず、立ち帰ることをしませんでした。その為、彼は泣き、涙の預言者と呼ばれています。神は世の人々の心の頑なさを知っています。だからこそ、神自身が大いなる痛みをもって御子を世に与え、御子を信じる者を救う道を開いたのです。自分の子の死を考えてみて下さい。その痛みがどんなに大きなものか分かると思います。その神は、御子を信じる者達に御霊を与えて、世の人々に主の証人として遣わし続けています。神は一人でも滅びることを望まないからです。私達と世の人々との間にある壁は、確かに高く厚いです。しかし、エレミヤはその壁の向こうにいる人々に、主の言葉を語り告げました。主がどんなに深く彼らを愛しているかを知るからです。私達も主イエスの「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分かっていないのです」の御言葉を知っています。十字架の主の、主を与えた父なる神の思い、愛を心に刻み、御心を世の人々に伝えていきましょう。