メッセージ(大谷孝志師)

信仰の先駆者に学ぶ
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2021年2月7日
聖書 ヘブル12:1-3「信仰の先駆者に学ぶ」  大谷孝志牧師

 今から丁度148年前の1873年(明治6年)2月7日に、アメリカバプテスト宣教同盟から派遣されたネーサン・ブラウン宣教師夫妻とゴーブル宣教師家族が横浜に到着したことを記念し、同盟では二月の第一聖日を「バプテスト・デー」して礼拝を守っています。私達の教会では特に同盟の諸教会の将来の働き人となる伝道者を養成している神学校を覚えて今日の礼拝を守り、この礼拝献金を神学校に献げることにしています。

 日本では、戦国時代にフランシスコ・ザビエルが日本で宣教を始め、九州の多くの大名がクリスチャンになり、各地に教会が生まれました。しかし、江戸時代になると徳川幕府が禁教令を出し、キリスト教を禁教として鎖国政策を採ったため、宣教師はもちろん、外国人も許可無しでは日本に入国できなくなりました。明治になり、キリスト教禁教令の高札が撤去されたのがブラウン、ゴーブル宣教師らが来日したこの月の24日でした。明治政府は既に明治2年に開国を行ったけれど、人々のキリスト教への反感は強く、派遣されて来た宣教師の働きは困難を極めていました。しかし日本の人々を救おうと思う彼らの熱意が実を結び、高札撤去の次の聖日に、日本で最初のバプテスト教会である横浜第一浸礼教会が誕生しました。私達はそれらの人々の献身的働きによって建てられた教会と救われたキリスト者の働きによって為された宣教の歴史の最先端に立っています。そして、第二次大戦後、この向島の地にも福音の種が蒔かれ、礼拝が始まり、多くの教師が遣わされ、救われる者が与えられました。その人々の働きを守り導いた主に助けられて、私達の教会はこの地に存続し続けています。私達は今、その75年に及ぶ長い歴史を担いつつ、礼拝を守り、地の塩、世の光としての働きを続けているのです。

 しかし日本の宣教は相変わらず厳しい状況が続いています。特に今年度は新型コロナウイルスの感染の勢いが止まず、部会の活動が抑制され、私達の教会も、礼拝後のお茶の会、愛餐会も行えず、教会外への大切な働きの場となっていたオープンチャートタラントも再開の見込みが立たないままです。しかし、礼拝出席は2ヶ月の自粛期間はあったもの、この会堂で礼拝を守りたいとする思いを主が叶え、休むことなく続けられています。先日も教会員、客員の全員が出席する等、多くの兄姉が出席、豊かな礼拝が守られました。主が生きて働き続けているからこそ味わえる恵みです。感謝です。私達は、この「バプテストデー」を、この日本、この教会を愛し、支えている主の豊かな恵みを思いつつ、そして、主の為に献身的に、多くの困難の中で働き続けた宣教師を始め多くの方々のことを思う日、これからもこの教会が主の御心を世の人々に伝え、救われる人々が加えられるよう願いつつ、共に歩む思いを新たにしつつ礼拝を守っています。何よりも主がこの事を望んでいます。

 キリスト教解禁後、約25年間はキリスト教は公認されませんでしたが、それでも多くの宣教師が、来日し、宣教しました。欧米の教会がアジアの人々の救いの為に熱心に祈り、献金し、伝道の為の組織を作り活動したからです。

 彼らは、日本が異教徒の世界で、日本人に真の神様を知らせたいと思ったのです。当時の日本では、福沢諭吉が「キリスト教国教論」を唱え、未公認でも上流階級の多くの人々が教会に来ていました。しかし民衆のキリスト教への反感は依然として強かったのです。しかし、困難な状況を知りながらも多くの宣教師が来日しました。日本の人々が滅びの道を歩むままにしておけなかったからです。主イエスを信じるなら救われ、永遠の命を与えられるとの信仰を、この日本人との生活の中で現したのです。宣教師も人間です。命は惜しかったでしょう。しかし殉教も覚悟して日本に来ました。それは、主イエスご自身が、この日本の人々が、一人も滅びないで皆が悔い改めるように忍耐していると知っていたからです。その主の愛に突き動かされたからです。主が世を滅ぼす日が来る前に、一人でも多くの人に福音を伝えようとの思いが、困難に立ち向かわせ、多くの実を日本で結ばせたのだと思います。

 主はご自分が彼らと共に働いていることを示しました。その一つが1883年(明治16年)、横浜海岸教会の初週祈祷会から始まった大きなリバイバル(信仰覚醒運動)です。この波が関西にも伝わり、その翌年私が以前赴任した池田バプテスト教会の前身である聖書講義所が生まれています。その後も、戦前の1919年と1930-1933年の2回、ホーリネス教団に大きなリバイバルが起きました。更に終戦後も多くの教会に多くの人々が集まり、多くの人々が救われました。私が高校の文化祭で聖書研究同好会の展示をしていた時、見に来た校長が、自分も若い頃教会に行き、クリスチャンになったと言い、当時の教会の生き生きした様子を話してくれました。しかし今は教会を離れているとのことでした。それが日本の現実でもあります。最初のプロテスタント教会ができて150年経つのに、キリスト者人口は2%前後の異教社会のままなのです。バプテストデーのこの日、日本という異教社会に来て、福音を伝えた宣教師の働きを心に刻み直しましょう。勿論、私達人間の力には限りがあります。だから主の言葉を心に刻み、その御言葉に立ちましょう。

「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。(マルコ10:27)」私達はその主を信じているのです。その主に生かされているのです。パウロがエペソ3:12で「私達はこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近付くことができます」と言います。彼も宣教師達も私達と同じ人間です。偶像を信じる頑迷な人々の抵抗に臆し、恐怖すら感じたと思います。しかし、主が共に働いているとの信仰に堅く立って、動かされることなく、主のわざに励んだのです。主はこの日本の人々の主です、私達が心に掛けている人々の為に、十字架に掛かって死んで下さった主です。私達も主の深い愛に揺り動かされ、彼らのように人々を滅びるままにして置けないとの思いを新たにしましょう。主は今、周囲の人に福音を伝えよと私達を遣わしています。私の福音を伝えよと語り掛けています。壁は高く大きいが不可能ではありません。宣教師達は壁を乗り越えて福音を伝えました。私達も乗り越えられます。主が私達とも共に働いているからです。主は真実な方です。私達の思いを実現し、必ず栄光を現されます。