メッセージ(大谷孝志師)
力強い味方主イエス
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年2月21日
ローマ8:31-37「力強い味方主イエス」 牧師 大谷 孝志

 ローマの歴史家タキトゥスが、ローマの「年代記」を書いたが、「ネロ帝の迫害」の中に「一般にキリスト信者と呼ばれて、その忌まわしい行為の故に憎悪されてきた人々を犯罪者に仕立て、残虐の限りを尽くして彼らを罰した」とある。当時のキリスト教は、幼児殺し、人肉嗜食、近親相姦をしていると言われていた。これは献児式、聖餐式、兄弟姉妹愛のことだが、人々に理解されず、有害な迷信とされていた。ネロはローマの大火は皇帝の命令だと確信する民衆の疑惑を払拭する為に、このキリスト者への市民感情を利用して、大迫害を行った。信仰者であることを告白した者達を捕らえ、死刑に処するだけでなく、獣の皮を着せて犬にかみ殺させたり、夜に十字架に付けた者に火を付け、松明の代わりにするなど、残虐に処刑した。それ以後もローマ帝国はキリスト者を激しく迫害し続けた。

 しかしキリスト者を迫害した最大の敵はユダヤ教徒。キリスト者が、既成のユダヤ教を否定し、彼らが十字架に掛けて殺したキリストを信じる以外に父なる神に喜ばれる道はないと宣言した。彼らが同じ信仰を持つよう求め。伝道の対象としたから、彼らの怒りを買うのは当然。最初の殉教者ステパノも彼らに石打ち刑で殺され、パウロも同じ石打ち刑で仮死状態にされ、町の外に引きずり出された。

 このように当時のキリスト者は社会的制裁や死刑をちらつかせて棄教を迫る多くの敵に直面していた。パウロも自分達を主イエスから引き離そうとする力がどんなに大きなものであるかをよく知っていた。しかし彼は、自分達に取ってそんなものは敵では無い、それに勝てると言い切る。事実、キリスト教はその後の数度に及ぶ大迫害に耐えた。特に3世紀の組織化され、強化された迫害が繰り返された中でも艱難を幌込んで受け、忍耐強く、各自良き主の働き人となり、希望をもって伝道を続け、313年にコンスタンティヌス帝により公認されるまでになる。

 35節の言葉は決して誇張ではない。その死への恐怖も生への執着も権力による脅迫もキリスト者をキリストの愛から引き離せなかった。主自身が彼らの力強い味方として共にいて、支え、励ましていたから。今は教会暦の上で受難節。主の十字架の死の意味を心に刻む大切な時。主がその為に死んだことを覚えよう。

 ローマ帝国に生きていたキリスト者が迫害の中で信仰を堅く保ち続けられたのは、主イエスの圧倒的強さに助けられたから。御霊の力と働きを常に求め、主が助け導くことを生活の中で実感していたから。申命記4:7に「私たちの神、主は私たちが呼び求めるとき、いつも近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民がどこにあるだろうか」とある。私達の教会はこの地に伝道を始めてまだ75年しか経っていない。パウロがこの手紙を書いたローマの諸教会も、力強い主イエスの助けと働きがあっても、まだ少数者が集まる家の教会だった。彼は弱く小さな自分達を見て世の人々を恐れることはないと教えている。御子さえ私達の為に惜しまなかった神が味方なのだから誰も敵対できないと。また、躊躇し怖じけづき、戸惑う罪人の自分達かも知れないが、御子は私達の罪の為に十字架に掛かって死んで、復活し、神の右に座し、そのような私達の為に執り成している。この十字架と復活こそ神が、主イエスが私達の味方であるしるし。その主イエスが「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」と語り掛けている。主イエスの十字架こそ勝利のしるし。その主の十字架を心にしっかりと刻み込み、この大切な受難節の一日一日を過ごしていこう。