メッセージ(大谷孝志師)
最大の奇蹟
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年3月14日
ヨハネ20:19−23「最大の奇蹟」 牧師 大谷 孝志

 聖書には数多くの奇蹟が記されている。その最大の奇蹟は主イエスの復活。旧約聖書には預言者による奇蹟が、使徒の働きにはペテロやパウロによる奇蹟が数多く記されている。それらの奇蹟を読むとある時期に集中していることに気付く。出エジプトの時、カナン侵入の時とその後の先住民族との闘いの時。そして、主イエスの公生涯、使徒達の主の証人としての働きの時。つまり、新しい時が始まる時に奇蹟が集中している。しかし奇蹟は自然界の法則、常識を超えた出来事。私自身、目覚ましい奇跡を経験したことはない。しかし、主イエスや使徒達と共に生きた人々は奇跡により、神の存在と力ある働きを体験していた。新しい時の中に歩み出し、その中で様々な新しい体験をしていった。しかし、それらの働きの根底、出発点にあるのは、主イエスの復活。その奇跡があったから彼らの働きがある。主イエスは、復活した日の夕方ユダヤ人を恐れて戸に鍵を掛けて閉じ籠もっていた弟子達の所に来て、彼らの真ん中に立った。彼らの心の扉を開く為に。

 弟子達は不安と恐れの中にあった。しかし、彼らは主を見て喜んだ。主が生きて共にいると知ったから。その時、彼らは主の「あなたがたに平安があるように」との言葉を聞いた。主の手と脇腹を見せられた。彼らは主と会い、自分達に平安が与えられていると知った。私達は壁にぶつかり、道が行き止まり、或いは崖に阻まれ、先に進めないと分かると不安になる。また、そこにいると敵に襲われ、危険に曝されていると思うと恐れ、怖じ気づく。しかし、主が共にいると分かると安心する。希望を持つと打開する為の道や、方法を見いだせる。とは言え、人は弱い。主が共にいるという証拠がいる。彼らに主はご自分が生きていることを知らせた上で語り掛けた。私達には聖書がある。主は聖書を通して私達にご自分の存在と御心を知らせている。これも奇跡。主が復活したから、私達は主の臨在を知り、主が共にいると安心できる。主は弟子達に手と脇腹を見せた。そこにはトマスが25節で「その手に釘跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じない」と言ったように、十字架に付けられた時の傷跡があった筈。これ以上ないと思われる程酷い言葉。しかし主イエスが自分の為に十字架に掛かったとの思いが無いから出て来た言葉。私達が日常生活の中で、主イエスの十字架をこの程度に扱っていないか、と聖書は私達に語り掛けている。

 主は今も生きて働き続けている。私達が主を礼拝し、御言葉を頂き、慰められ、励まされているのが何よりの証拠。私達の日常生活の中に、奇跡は起き続けている。感謝し、主を褒め称えよう。主は再び「平安があなたがたにあるように。父が私を遣わされたように、私もあなたがた遣わす」と言う。私達が救われたのは、まだ救われていない人々に主が救い主と知らせる為。主が新しい奇跡を起こすお手伝いをする為。世の人が主イエスを信じて救われるのは大きな奇跡。しかしその奇跡が先ず私達に起きている。福音を伝えようと思っても、世の人々の抵抗は大きい。しかし私達は信じ救われた。福音を伝える私達を苦難が待ち受けている。しかし主は言う「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝ちました」と。私達にも奇跡が起きると信じよう。主イエスが十字架に掛かって死んだけれど、復活して、今も共に生きて働いているのだから。

 最後に主は「聖霊を受けなさい」と言う。人の知恵と力ではできない。聖霊が具体的に言葉と力を与え、私達の言動により奇跡を起こす。主が復活しているから。