メッセージ(大谷孝志師)
真の愛の道
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年4月4日
Iヨハネ3:18-24「真の愛の道」 牧師 大谷 孝志

 この手紙を書いたヨハネは「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。」と言う。彼は教会という人の交わりの中でこの手紙を書いているが、読者を「子どもたち」と呼ぶ。そう呼べるだけの信望が彼に有り、慕われていたからと思う。私はこの言葉に溢れる彼の愛を感じる。彼は読者に正すべきところが有るのでこう言ったのではない。彼らにも人間的弱さがあり、その場しのぎの付き合いをしたり、よく見られたくて口先だけで誤魔化したりする姿が見られたかも知れない。しかしそれを温かな思いで見ている。とは言え、そのように上辺を取り繕っている限り、心の底から信じ合える関係、重荷を負い合い、助け合える関係にはなれない。彼は読者に一歩踏み出させる為に、「愛し合いましょう」ではなく「愛しましょう」と言う。相手に見返りを求めたり、期待することなく、惜しみなく困っている相手を助ける愛を実践せよと。

 彼がこう言うのは読者への信頼があるから。だから、私達は真の愛が分かっている筈と言う。その愛とは、キリストが私達の為に命を捨てて下さった愛。愛の手本は私達の主イエス・キリスト。主はヨハネ15:13で「人が自分の友のために命を捨てること、これより大きな愛はだれも持っていません」と言う。しかし問題は、私達が御言葉を知っていても、愛することが正しいと思っていてもできないこと。この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対して憐れみの心を閉ざしてしまうのが人間だから。だから、神に愛され、主がご自分の命を私の為に捨てて下さったので、自分が今生きていると気付けば良い。その神の愛、キリストの愛が自分の内にあるならできる、と彼は勧めている。

 読者が、相手に行いと真実をもって愛を実践するなら、自分中心の生き方から自由になれると教える。人は主イエスのように人を愛することは良いことと知る。相手を愛したいと思う。でもそれができない。できない自分に苛立つことがある。それでは、主イエスを信じていても幸いだとは言えない。彼は読者に神の御前に心安らかにいられる方法があるのだから、それを知り、幸いな者として生きる道を教える。それは行いと真実をもって相手を愛すること。それにより、神に喜ばれる生き方を自分がしようとしていると安心できる。でも、したかどうかを考え、自分の心を吟味すると不安になる。だから、彼は神は私達の心より大きな方で、全てをご存じだから安心して良いと教える。神は私達の弱さを知る。思ったことができない弱い人間だと知る。でも、私達が神に喜ばれようとしているその心を知り、助けてくれる。できない事をさせてくれる。彼は読者に愛する者達と呼び掛ける。人は世に生きていると罪と欲に囚われ、不安や恐れから抜け出せない。罪は人に自分で自分を責めさせる。それが人を神から引き離す効果的方法だから。

 ヨハネは自分に注がれた主の愛を知る。主に愛されているから、心から読者を愛して語り掛ける。神の愛に自分を委ね、自分を任せる者を神は喜び、恵みを与える。全てを知った上で神が自分を愛で包み込んでいると知るならば、この世で安心して生きていく確信を持てる。神がそのような思いで生きる者に、求めるものを何でも与えるから。神の命令を難しく考える必要はない。神は私達の全てを知った上で、私と共に生きよと語り掛けている。主イエスの愛の戒めを守れば良い。私達の内に住む御霊が助け、神の命令を守らせてくれる。彼は読者に神が大きく深い愛をもって自分達と共にいることを信じて生きれば良いと教えている。