メッセージ(大谷孝志師)
主は信じない人の味方
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年4月25日
ルカ23:32-38「主は信じない人の味方」 牧師 大谷 孝志

 今日の個所には十字架上での主イエスの言葉が記されてる。主は自分を十字架に掛けて殺そうとしている人の為に、父なる神に祈った。彼らは自分達が何をしているのかが分からない人達だから赦して欲しいと。そこには遠くから眺めていたイエスの知人達やガリラヤから主に付いて来た女性達もいたが、物珍しさに来ていた人もいたであろう。そんな人々だけでなく、イエスを嘲笑った議員達、槍で殺す役目の兵士達もいた。しかし主は、刑場に引かれていく自分の後に、嘆き悲しみながら付いて来た大勢の女性達に「私の為に泣くな、むしろ自分自身と、自分の子ども達のために泣け」と言った。主が十字架に掛かるのは、人にはどうにもならない恐ろしい神の裁きが下る日が来るから。その恐ろしさを知る者が主イエスの十字架に父なる神と子なる神、イエスの深い愛に触れることができる。この私が大切だから、私を愛し、主は十字架に付けられ、殺されたのだと知る。

 下では十字架に付けた兵士達がイエスの衣を分ける為にくじを引いていた。自分の事しか考えていない人々を象徴している。両隣には犯罪人が十字架に付けられていた。彼らの内の一人は「お前はキリストではないか。自分と俺たちを救え」と罵った。しかしもう一人は彼をたしなめ、「この方は悪い事は何もしていないのに、刑罰を受けているのだ。イエス様、あなたが御国に入れ得られる時には、私を思い出して下さい」と言う。彼は主に「あなたは今日、私と共にパラダイスにいる」と言われる。更には、恐らくこの後十字架の主イエスを埋葬したアリマタヤのヨセフもいた。彼は主が十字架に掛かって死ななければ、主の弟子であっても他のユダヤ人を恐れてそれを隠したままであったと思う。主に祝福された犯罪人もこのヨセフも、主の十字架によって大きく変えられた。このように、彼らを含め、主イエスの十字架の周辺にはこの出来事の評価が違う種々様々な人々がいた。そして今も尚、主の十字架の死についての世の人の評価は大きく分かれている。

 主イエスは今も、この世に生きる全ての人々の為に取り成しの祈りをしている。主が十字架に掛かって死んでも、その意味が分からず、自分の考えでこの世の出来事、人々の言動を評価、決め付けている人々を憐れみの眼差しで見詰めながら。しかし、十字架への道を歩む主の後を嘆き悲しみながらついて行った大勢の女性達に振り向いて主が警告の言葉を発したように、主イエスの十字架が自分自身や家族友人知人に下される神の恐ろしい裁きから救う為のものだと深く心に刻なければと聖書は私達に語り掛ける。主の十字架をないがしろにしていはいけないと。

 主のトマスへの言葉「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」を自分への主の言葉として受け止め、自分が本当に十字架の主を見詰めているか、信じない世の人々への優しい眼差しを感じているかと自分を省みよう。そしてその眼差しが自分自身にも向けられていると気付こう。主は私達の全て、心の深み迄も知る。そしてその私の為に十字架に掛かって死んだ。信じていると思いながら、実は信じていない自分に「信じる者になりなさい」と呼び掛けている主に気付こう。

 主は信じる者の主、頼りになる力強い味方。しかしその事を知るのは、信じていなかった私を信じる者に変える為に私の味方になっていたからと知ろう。主イエスは、ご自分を信じない人の味方。全ての人を愛し、信じる者となるよう願っている。キリスト者となっている者一人一人がその事を心に刻み「だれも滅びることがなく、全ての人が悔い改めに進」めるよう願いつつこの世に生きていよう。