メッセージ(大谷孝志師)

父と母を敬う生活
向島キリスト教会 聖日(母の日)礼拝説教 2021年5月9日
聖書 エペソ6:1-4「父と母を敬う生活」  大谷孝志牧師

 今日は母の日です。でも聖書に基づく祝日ではありません。アメリカのバージニア州のメソジストの教会学校で1907年5月10日に始まり、全米、全世界に広まった教会行事です。来月にある父の日は、母の日があるのだからと考えた人がいて、ワシントン州の教会で1910年6月17日に初めて行われたこれも教会行事です。父の日も母の日も、誰にも両親がいて、父と母は誰にとっても大切な存在だから、全世界で受け入れられ、今も続く行事になっています。

 2節の「あなたの父と母を敬え」は神がモーセを通して与えた十戒の第五戒です。ユダヤ人は幼い頃から十戒を守るよう教えられました。十戒は前半の神との関係についての戒めと後半の対人関係についての戒めに分かれます。今日の戒めは、後半最初の戒めで、3節にあるように約束を伴った戒めです。

 父と母は親であっても別人格です。従えと言われても抵抗がある場合もあります。しかし彼は従えと命じ、これは正しいことなのだと言います。親子は人間関係の中でも特別です。結婚しない人、子が生まれなかった人はいますが、親が子を育て、子が親に育てられるのは、時代と国境を越えて共通することです。「親がなくとも子は育つ」と言い、親がいなくても子どもは育つかも知れなませんが、親がいなければ子は世に存在しなかったのです。また、子は否応なしに親の遺伝子を受け継ぎます。別人格であっても、親子は多くの共通点を持っています。他人との関係は「縁」と表現する場合が多いです。親子も広い意味では神が定めた関係で縁と言えないこともないのですが、与え与えられる最も強い関係で、親子は切ってもれない絆で結ばれています。

 私自身、物心がついてからの人生を振り返ると、一番強いのは母親との事、次に父親との事です。両親は既に天に召されていますが、両親の生き様は私の人格に影響を与え、今の自分の内に生きているのを感じさせられています。親から受け継いでいるものを否定したとしたら、自分を否定したことになります。両親の人生を子である自分が生きていることに気付きましょう。そうすると、今までは気付かなかった自分自身が見えてくると思います。大げさかも知れませんが、両親、祖父母、曾祖父母と連綿と続く人類の歴史が自分の内にあるのです。そして、私は親として子を育て、私という人間によって新しい歴史が作られていくのです。{自分の父と母を敬い」自分が両親を大切に思いつつ生きることが、自分を真に大切にして生きることと知りましょう。

さて十戒は、奴隷の苦しみの中で神に助けを求めたイスラエルをエジプトから救い出した神が、これを守るなら、乳と蜜の流れる豊かな地に導き上るとモーセに約束した戒めです。その第五戒が2節、それに伴う約束が3節です。

 この「従う」という言葉は「聞く」の派生語で「聞き従う」の意味えす。この著者は、子供は親の言うことを聞きなさいと先ず教えます。彼は奴隷にも主人に聞き従えと教えています。これは黙って言うことを聞けというのではありません。最初に「主にあって」とあるように、彼は自分が「聞き従え」と言うのは、「主にあって」が前提なのだと教えているのです。

 何故かと言うと、人が人に従うのは、簡単なようでとても難しいからです。人は弱く、過ちを犯します。両親も完全ではありません。彼はそれも分かっています。でも、彼は両親に従えと言います。ですから、両親は自分に様々な事をしてくれているのだから、黙って親を敬えというのではありません。そうではなく、両親を敬うことによって、子が大切な事を学べるからです。その為には「主にあって」両親を敬うことが大切なのです。それによって、人は他の人との関係を、暖かく豊かなものにしていくことができるのです。つまり、私達が自分と共にいる主イエスを意識することによって、私達は自分本位の生き方から、自分自身を解放することができるからです。

 とは言え、親という「人」を見ているだけだと、敬えない思いになることがあります。でも私達には主イエスが私達に遣わす強い味方、御霊がいるのです。目には見えないけれど、主イエスは共にいると御霊が教えてくれます。主が共にいると信じ、見えない主に目を注げばよいのです。主を見上げましょう。主は私達を愛し、見詰めています。主の眼差しを感じましょう。私達はその主を信じているから、主を礼拝しているのです。主に愛されている自分と分かると、相手を素直に見ることができるようになります。そして、自分は自分のものではなく、主のものと教える聖書の言葉が真実だと分かります。自分が変えられるからです。すると素直に安心して両親のことを思い浮かべ、心から両親を敬えます。これは人として本当に素晴らしいことです。

 だから彼は、出プト20:12を引用し「そうすれば、あなたは幸せなり、その土地であなたの日々は長く続く」を付け加えます。神はイスラエルの人々に、あなたが自分の父と母を敬えば、幸いな生活を送れると約束したのです。

 今年の母の日に、今日の御言葉を主が私達に与えたのは、私達が父と母を心から敬う者になることを主が望むからです。そして、それによって世の人々への見方が変わることで、私達が生活している地で幸せに生きる為です。私達は一人一人、様々な社会の中で、様々な考え方や生き方をしている人々と共に生きています。多かれ少なかれ、それで、言葉の行き違いや感情のすれ違いなどを経験し、疲れることも多いのではないでしょうか。そして不平不満が心の中に溜まり、愚痴が出たり、相手の心が読めず、不安や恐れに囚われる時もあるのではないでしょうか。しかしそうなる大きな原因が実は、私達の内にあるのです。神はそのような私達の全てを見ていて、私達がもっと自由に、もっと気を楽にして生きられる道、方法があると教えるのです。この戒めも含め、神の戒めを守ることです。そうすれば神は私達を守り、私達に恵みを与え、私達が生きている地で幸せにします。私達は「あなたの父と母を敬え」をその一つの戒めとして学びました。父母は、私達の人生において最も大切な人であり、大切だった人です。父母を敬うことは神が人に与えた素晴らしい賜物で誰が見ても美しい行為です。父母を敬いましょう。それによって、自分の隣人への見方が変えられ、隣人を自分を愛するように愛する者になっていきます。私達が生きるこの地が幸いな人々の地になるよう、この戒めを守り、先ず自分が主に喜ばれる者となって生きていきましょう。