メッセージ(大谷孝志師)
豊かな人生の条件
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年5月16日
ローマ10:6-12「豊かな人生の条件」 牧師 大谷 孝志

 豊かな人生の条件は何か。コロナ禍の世界のニュースを見ると、日本は経済的に豊かな国の印象を受ける。しかし派遣切りや雇い止めで職を失い、生活保護を受けている人、それも受けられずに苦しい生活をしている人々がいる。主は「貧しい人たちは幸い(ルカ6:20)」と言うが、その人達に、あなたがたは幸いだとは言えない。マタイは5:3で「心の貧しい者は幸い」と言う。日本で心の貧しい人で思い浮かぶのは、自己中心、不幸な人を見て、その人の責任と切り捨てる人。主が言う心の貧しい人とは、自分の空しさを知り、主に求め、主の恵みに生きる人。

 共観福音書に十二年間長血を患った女性の話がある。財産がある内は医者に掛かり、持ち物を全て使い果たした。彼女は貧しくなり、主イエスに求め、癒された。しかし多くの財産を持つ青年は、イエスに持っている物を全て売り払い、貧しい人たちに与えなさい、その上でわたしに従って来なさいと言われ、悲しみながら立ち去った。物やお金に頼っている内は、人は主イエスに。求めに来ない。

 端的に言えば無いから主に求め、求めれば与えられると信じ、求めるのが信仰。だがキリスト教は御利益宗教ではない。病気が治るから信じなさいとは言わない。しかし、主に求めて来た人の大部分は、病気を治して欲しいと願ってきた人々。無いから、健康でないから、現状を変えて欲しいから主の所に来た。しかし金持ちにして欲しいと主の元に来た人はいない。聖霊降臨の後、神殿に祈りに来たペテロ達に物乞いをした生まれつき足の不自由な人に、ペテロは「金銀は私にはない。私にあるものを上げよう」と言い、彼を立ち上がらせた。私達が信じる主イエスは、その人に真に必要なものを知り、それを与える方。しかも豊かに与える方。

 だが、主に豊かな恵みを与えられ、豊かな人生を生きる為には必要な事がある。主は「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」と教えた。子どもは幼子。幼子は親の権威と力を無条件に受け入れている。親無しには生きられないし、親は自分に無いものを与えると信じる。

 しかし、人は大人になると経験を積み知恵が付く。自分が努力すれば何とかなると考える。しかしこれは勘違い。自分の知恵と力で人生を豊かなものにしようとすれば、出来るかも知れないが、必ず出来るとは限らない。それは誰でも分かっている事。でも殆どの人は認めない。しかし聖書は、誰でも豊かな人生を生きられると教える。全ての事は主の御手によって為されているので、主イエスを信じ、救われるなら豊かな人生を生きられる。私達は主の祈りの最後に「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」と祈る。全ては主のものであって、私のものではないと主に告白する。豊かな人生を求めるなら、この信仰に立てば良い。

 聖書は、「心の貧しい人は幸いです」と主が言ったのは、心の貧しい人とは全てのものは主のものであり、私のものは何も無いと知る人がだから。自分は物質的なものだけでなく、自分は本当に貧しいと知る者が心の貧しさを知る人が、人としての豊かさを求め、主に豊かなものを十分に与えられ、日々を平安に過ごすことができる。それが確かなことだと私達が世の人々に伝えても納得して貰えない。だから、教会に来て、礼拝の中で、聖書の中に豊かな人生の条件が示されていると知って貰うしかない。私達が、主イエスを信じ、確信している主は信じる者に恵みと平安を与えると方だと、私達が豊かな人生を生きることで証ししているほかにない。聖書の中には豊かな人生の条件が記されていると知らせる他にはない。