メッセージ(大谷孝志師)

教会に与えられた使命
向島キリスト教会 ペンテコステ 聖日礼拝説教 2021年5月23日
聖書 使徒の働き2:36-47「教会に与えられた使命」  大谷孝志牧師

 誰にでも誕生日があります。同じように教会にも誕生日があります。この教会が産声を上げたのは、最初の集会が荒川家で始まった1946年12月でした。私もこの年に産声を上げました。そして宗教法人基督教向島教会を設立し、一人前の教会になったのが1957年12月でした。使徒達による福音宣教が行われ、全世界の教会の誕生日となった日が、主イエスが復活して50日目の今日、ペンテコステ、ギリシア語で50を意味する日です。1991年前の紀元30年5月28日になります。この日は2章1節にあるように、ユダヤ教では過越祭から50日目に行われる七週の祭り・五旬節の日でした。主の降誕を祝うクリスマスは12月25日です。毎年変わりません。しかし復活祭は、春分の後の満月の次の日曜なので毎年変わります。その復活祭に連動して、ペンテコステ礼拝の日も毎年変わります。今年は今日、5月23日が全世界の教会の誕生日になります。

 どのようにしてこの日に教会が誕生し、全世界の教会の誕生日になったのでしょうか。主イエスは復活後40日間、弟子達に現れ、神の国について教えた後、天に上げられました。それから十日間、使徒達は主が約束した自分達の上に聖霊が臨むのを、主の母マリアと主の兄弟達、ガリラヤから主に付いて生きた女性達と心を一つにして祈りつつ待ち続けていたのです。昔、牧師をしていた教会で、五旬節前の六日間、早天祈祷会を行い、御言葉を静聴し祈り続けたことがあります。二千年前のような出来事は起きませんでしたが。

 そして五旬祭の日、使徒達が集まって祈っていた時に聖霊が下ったのです。それでこの日を聖霊降臨記念日と呼び、今も全世界の教会が特別な日として礼拝を守り続けています。この日に使徒達による福音宣教の働き、教会としての活動が始まったことから、この日が全世界の教会の誕生日になりました。とは言え、今のような教会の組織では有りませんでした。でも、聖霊に満たされ、福音を宣べ伝える人々の群れがそこにありました。全世界の教会は、この日、エルサレムに誕生したこの教会の人々が、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、更に地の果てまで福音を宣べ伝えて行った結果、それぞれの地に生まれた教会なのです。そして全ての教会のルーツはここになります。

 私達の教会も、招かれた教師、信徒、招いた人々、彼らに福音を伝えた人々と辿り続けると、他の全ての教会と同様にエルサレム教会に辿り着きます。

 自分の誕生日を祝う人は多いと思います。祝うまでは行かなくても、誕生日を迎えると心改まる思いは、誰もがするのではないでしょうか。私は誕生日になると、過去の様々な出来事が浮かび、それらを思い起こす中で、主の恵みと導きに改めて感謝します。そして、これから先の事を考える機会にもなります。自分を見つめ直す良い機会です。教会の誕生日も同じです。エルサレムに、復活の主の約束の実現として誕生した教会の歩みは、今も続き、私達はこの地で福音を伝え続けてきました。この75年の歩みを振り返り、これから、この地で私達は主の為にどのように働いたらよいのか、御心を示してと主に祈り求めましょう。主は知恵と力を与え、御心を示して下さいます。

 さて、ペテロは十一人と共に立ち、聖霊降臨の大音響に驚き集まって来た大勢の群衆に力強く説教しました。主の復活を知らされたのに、ユダヤ人を恐れ、家に閉じ籠もっていた彼らとは別人の感があります。聖霊に満たされ、彼らは変えられたからです。私達はその神を信じ、その神が支配する世界に生きています。ペテロは、イエスを「十字架に付けろ」と叫んだ彼らに「あなたがたは神が主、キリストとして立てたイエスを十字架に付けた」と言いましす。人々は、当然の事をしたと思っていました。ペテロはそれは間違いだったと彼らに宣言したのです。彼らの怒りを買い、袋叩きにされかねない言葉でした。しかしそれが真実であり、この後、自分がどうされるかは全く考慮していません。彼は真実を大胆に語れました。聖霊に満たされたからです。しかし、聖霊の姿も見えないし、声も聞こえません。十字架と復活の主がそこにいて、自分の言葉が真実と証明したのでもないのに、なぜ断言できたのでしょう。復活の主が彼らに現れ、私の証人として世に遣わすと言っても、引き籠もり、世に出て行けず、祈り求めていた彼らだったのです。私達も主に「あなたがたは地の塩、世の光」です。「全世界に出て行き、全ての人に福音を宣べ伝えなさい」と命じられています。そうしたい、主の命に従いたいと思っても従えない自分だとしても、諦める必要はありません。聖書は、その使徒達が聖霊に満たされ、大胆に福音を宣べ伝え、教会が誕生した事実を伝えているからです。私達も聖霊に満たされるなら立ち上がれます。ペテロは、説教を聞き、心を刺された人々に「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねられると「バプテスマを受けなさい。そうすれば聖霊を受けます。この約束は…私達の神に召されている人なら誰にも与えられている」と答えます。人々は悔い改め、主イエスの名によってバプテスマを受けました。彼らは使徒達の教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていました。人々は180度変えられ、使徒達の仲間になりました。聖霊を受けたからです。教会の歩みがここエルサレムで始まり、私達はその最先端に立っています。

 世界中に教会が誕生し、最近の統計で日本では人口の0.8%ですが、世界総人口の内キリスト教徒は21億人で、世界最大の宗教です。主は全ての人を救う為に、他の神々を信じる人々に福音を伝え、主が聖霊により聖なる者とし、神に喜ばれる者としているのです。人の力ではありません。主が人を用いて救いの業を成し遂げているのです。主は今も生きて働いています。主イエスを信じるなら、主の守りと恵みを感じ、信徒として安心し、喜んで生きられます。主は私達に、その事を知らない世の人々に福音を伝え続ける大切な使命を与えています。十年一日の如き状況に無力さを感じることは確かです。しかしパウロが一コリ15:18で言います。「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」。主は数年の私達の歩みの中に、新しい方々を招き、定着させています。主は私達がこの教会で、主を信じ、主と共に生きていることを喜び、恵みを与えています。教会に与えられている使命をしっかりと受け止め、自分に出来る事をして主の業に励みましょう。