メッセージ(大谷孝志師)
御言葉を実践する人に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年6月6日
ヤコブ1:19-25「御言葉を実践する人に」 牧師 大谷 孝志

 ヤコブは「人は誰でも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい」と言う。相手の言葉を早合点せずに、何を話そうとしているのか、言葉の奥にあるものを聞き取るようにすることが大事。十分に理解してから、相手の要求に応えることが大事と教える。相手の言葉を勝手に解釈してしまうと、相手の思いと自分の思いを混同し、自分の解釈を相手に押し付けているのに気付かずに、相手に怒りをぶつけるのはとんでも無いこと。神に喜ばれないし、相手との関係も、自分と神との関係も壊してしまう結果になってしまう。

 ですから、自分の心から悪いものが出ないようにしなさい、と彼は教える。「全ての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい」が言う。主イエスも「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」と教えた。心が悪で溢れ、自分中心にしか物事を捉えられず、自分の為になる事しかできない人には心に平安は無く、本当の喜びには満たされない。自分が神と人に喜ばれる者に変わりたいと願うなら、みことばを実践する人になれば良い。なぜなら「みことばは、あなたがたの魂を救うことができる」から。

 みことばとは何か、心に植えつけられるとどういう事か。私達は聖書を読んだ入り、祈ったりしている時に、今まで何度も目にしていた聖句が、自分への神の言葉として新鮮に心に響いてくることがある。それは主が私に語り掛けたみ言葉が私の心に入ったから。それが「心に植えつけられたみことば」とヤコブは言う。しかしそれを根付かせなければ、自分のものはならない。だから素直に受け入れなさいと勧める。心に植えつけられたみことばは、主イエスの「種が蒔かれた土地の譬え話」の種。土の薄い岩地に落ちた種は芽を出しても枯れてしまう。根付かせ要とする私達の思いが必要。また、私達の心が世のことで一杯になっていたら、それらに塞がれて、みことばが実を結べない。だから、私達の内にある全ての汚れや悪を捨て去りなさいと彼は教える。みことばがただわたしたちの心に植えつけられているだけでは実を結べない。主イエスは譬えで、みことばが蒔かれた土地が良い土地であれば、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶと教えた。私達のみことばへの姿勢が大事。だから彼は「みことばを行う人になりなさい」と言う。「みことばはあなたがたの(私達の)たましいを救う力がある」その力が発揮されるには、私達がそのみことばを、聞くだけの者にならずに、行う人になれば良い。

 ヤコブはみことばを行う人になろうと思うなら、「自由をもたらす完全な律法を一心に見詰め、そこから離れない人になれ」と言う。この律法は、主イエスが私達に与えた新しい戒め・掟。主イエスの生き方。語った言葉の全て。「完全な律法を一心に見詰め、そこから離れない」と言い換えるなら「自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従う」こと。目に見えない主イエスに目を注ぎ、主と共に歩むこと。主が共にいると信じて生きるなら、みことばを実際の生活の中で行う人になれる。みことばは、私達にこうすれば良いとの手本になる。何故ならヘブル4:12にあるように「神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができる」みことばは、単に聖書に書かれている文字、言葉ではない。私達に与えられる神の知恵、神の力。生きて働く力。意識してみことばを生活の中で実践する者になりましょう。そうすればその行いによって豊かに祝福されます。