メッセージ(大谷孝志師)

自分にとって家族とは
向島キリスト教会 聖日礼拝説教 2021年6月20日
聖書 IIテモテ1:3-5「自分にとって家族とは」  大谷孝志牧師
 今日は「家族の日礼拝」です。人は誰にでも家族があります。少なくとも両親、祖父母はいます。この手紙はパウロが弟子の一人のテモテに宛てたものです。彼はⅠテモテ1:2で彼を「信仰による、真の我が子テモテ」と呼びます。今日の個所でも「愛する子テモテ」と呼んでいます。私達も教会に集う人を名前で呼びますが、肉親ではありませんが、兄弟姉妹のように思って、話し掛けています。信仰による兄弟姉妹だからです。でもパウロのように、真の私の家族と思って呼んでいるでししょうか。主は自分の周りにいる人々を見回して、「ご覧なさい。私の母、私の兄弟です。だれでも神の御心を行う人、その人が私の兄弟、姉妹、母なのです」と言い、教会は主の家族になっていると教えました。私達は主によって主の家族とされ、ここに共にいます。

 主は、何故私達を一つの家族としたのでしょうか。それは人にとって、家族の存在はとても大きいからです。家族と他人は違います。家族は安心して一緒にいられ、分かり合えます。それだけではありません。家族は心も体も触れ合えます。家族がいるのは素晴らしいことです。精神的に深く安定するのではないでしょうか。人は一人では生きられません。自分が生きる社会の中に様々な助け手が与えられています。でも、その助け手に義務でしていると感じさせられたり、嫌々していると感じたりすると、疲れが一変に出てます。人は相手の思いより自分の思いが先に立つ弱さを持っているからです。

 パウロはⅡコリ1:4で「自分達が神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人達を慰めることができる」と言います。ここに教会の交わりの素晴らしさがあります。主が言うように、神が自分を愛し、助け導いていると知る人同士になると、互いに相手と家族のように接することができます。互いに主の家族になることで、教会は一つの家族になれます。主が私達の内にいるので、教会はキリストの体になっていると分かるのです。私達は一つに繋がっている、切り離されていないと分かるので、一人一人が神の家族同士となり、愛し助け合うことが自然にできるようになります。その麗しい姿を世の人々に示せるなら、真の愛を未だ知らない人々への良い証になります。

 家族の日礼拝のこの日、先ず、肉親の家族が与えられたから今の自分があると感謝しましょう。互いに感謝することが大事ですが、その家族を神が与えたことを感謝することはもっと大事です。世の人は未だ分からないのですが、偶然ではなく、神の計画だと分かると、家族への思いが変わってきます。自分の為の家族ではなく、家族として共に生きる為、互いの人生に必要な人としてこの家族を神が与えたと知ると、人生が大きく変わってくるからです。

 子供の頃の私は、東京下町の長屋暮らしでした。両隣りはベニヤ板で仕切られて、大声で話すと丸聞こえ、プライバシーは有ってないようなものでした。水は入り口の共同水道で、その水を瓶に溜めて使いました。時には醤油や味噌の貸し借りもあり。時代劇の長屋のようなものでしたが、洗濯は水道の周りでなく銘々の家の前の小さな庭でし、井戸端会議はありませんでした。

 両親は、人に頼まれると嫌と言わない性格でした。親戚の軽度の障害者を、福祉政策が充実し、施設に入所できるようになる迄、何年も同居させました。高卒後、田舎から出て来た母の妹を結婚する迄同居させました。千葉県柏に転居後は一軒家に住んだのですが、親友がリストラされ、乳児を抱えては妻も仕事ができないと頼まれると預かるあした。家族以外の者を家族同様に受け入れるのは、殊に母にはかなりのストレスでした。でも主は両親を最後まで支え、度々思う以上の恵みを与えて下さり、今、御許に安らかにいます。

 家族とは何でしょう。親も子も相手を選べません。神が与えるからです。子は親の生き方考え方を見て育ちます。また、子は親の鏡と言うように、親は子を見て、それ迄気付かなかった自分の真実にはっとすることもあります。

 さてパウロは、テモテに「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っている」と言います。彼は、何故このように家族による信仰の継承を記したのでしょうか。それが福音宣教、教会の成長に欠かせない大きな役割を持つと知っているからです。主は、聖書を通してその事を私達に気付かせようとしています。

 私の母は信者ではありませんでしたが、近所に信者の友人がいて、家庭集会に誘われて出席し、キリスト教、教会の良さを十分に感じていました。そこで私に教会に行くよう勧め、私は教会に行き始め、その内に、週に五日通うようになりました。ある日、私に語り掛ける主の御声を聞き、信者になりました。その後、妻を亡くし二人の子を育てる私を助ける為に来た母は、孫を育てる難しさの中で、全てを主に委ね、信者に成りました。父は友人に「息子が牧師なのにお前が信者でないのはおかしい」と言われ、信者になりました。勿論、私としては家族が救われることを願っていましたが、信仰継承の為に祈り続けて訳ではありませんでした。でも、家族との関わりを持ち続けている中で、家族の存在が信者になることに大きく影響したこと、神がその関係を用いて信仰を継承させて下さり、一人一人を救ったことは確かです。

 パウロが言うように、信仰の継承は大切です。彼は「あなたのうちにある、偽りのない信仰」と言います。自分が主イエスを信じ救われていることを、自分がどう考えているか吟味することが、信仰が継承される為に大切です。自分が信仰の喜び、素晴らしさを十分に味わっていることが信仰が継承されるための大前提になるからです。信仰継承は頭ごなしや強制はでは行われません。種蒔く人の譬えのように、良い地に落ちた種が豊かな実を結ぶのです。信仰継承という実を結ぶ為には、良い家族関係という土壌が必要なのです。

 「親の背を見て子は育つ」と言いますが、子は親の行為の目的や結果を見てでなく、努力の経過を見て成長するとの研究結果があります。信者の自分が良い父母、祖父母であるよう心掛けることが大切なのです。家族への信仰継承は家庭に大きな喜びを生みます。今日「家族の日」、自分の家族への思いを新たにしましょう。そして神がこの家族を与えていることを感謝し、良き家族同士となり、信仰が継承される喜びを与えて下さいと主に祈りましょう。