メッセージ(大谷孝志師)
神を恐れ、命令を守れ
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2021年6月20日
伝道者12:13-14「神を恐れ、命令を守れ」 牧師 大谷 孝志
 この書を書いた伝道者は素晴らしい知恵の持ち主。彼はその知恵を用いて、この世で起きる一切を尋ね、真理を悟り、平安を得ようとした。人は現象を観察し、何故それが生じたか、今後どうなるかを分析し、かなりの確率で推測はできる。彼は一切の事を知ろうとしたが、それは風を追うようなもので、悩みと苛立ちが増すだけだった。なぜそうなったのか。彼はこの世で行われる全てのわざを見た。つまり、人の言動を分析しようとしたから。しかし、人の心は千変万化、言い換えれば諸行無常、それをすればこうなるとは誰にも決められない。何を言ったか、何をしたかは分かる。しかし何するか、何を言うか他人に分からない。それでも彼は、人には素晴らしい可能性が与えられていると知るので、五里霧中の中で、懸命に真理真実を求めて格闘した。神が人にだけ、知恵と力、善悪を判断する力という賜物を与えているのは、確かに事実。だから人は自分が思う事をし、人生を楽しむことができる。しかし人は一人で来ているのではないから、他人の自由や喜び追求により、自分が束縛され、自分の思いに反することをせざるを得ないことも。でも、世に生きている限り、様々な制限はあるが、その中で自分にできることを選択し、自分らしく生きようと努力は出来る。この伝道者もそうした。

 しかし人は自分が満足できればそれで良いと思えない。人に嫌がられたり、白い目で見られると分かっている事はしたくないと思うし、できない。一人で生きているのではないから、他人と共に生きる為に必要と思うことをしたいのが私達人間。では、どうすればこの世の中で、他の人と安心して生きられるのだろうか。

 彼は「神を恐れよ。神の命令を守れ」と言う。実はこれ程私達にとって難しい事はない。私達は神を見たことも、声を聞いたことも無い。神を恐れよと言われても、どうすることが恐れることなのかが全く分からない。だから、神の命令を守れと言われても、何が神の命令なのかが分からない。それなのに彼は何故、それが人間にとって全てだと言うのか。それは、私達人間がどう考えようとも、どう判断しようとも、神が全てを支配し、全てを人を通して行い、行わせるから。
 私達が、日々喜んで安心して行きたいと願うなら、神に喜ばれることをする以外にない。でも先に言った通り、何をすれば神に喜ばれるかは人には分からない。確かに人には分からないが、神には分かる。だから、私達の方で心から神を恐れて生きるなら、神は私達を喜び、私達に必要なものを必要な時に与えると信じれば良い。何故なら、神は善であれ悪であれ、あらゆる隠れた事について、全てのわざを裁かれるからと彼は言う。何が善で、神に喜ばれるかは人には分からない。だから人に出来る事はただ一つ、神は全てを知り、裁く方と信じ、その神を恐れ、自分が正しいと思う事をするしかない。正しい事をしていると自信を持たなくて良い。自分を信じても無意味だから。彼は懸命に意味を明らかにしようと奮闘。私達も自分の人生を意味有るものにしたいとは願う。空しいままの人生ではやりきれない。聖書は人間の努力、葛藤の先に真の平安があると教えている。私達はそれを信じるしかない。箴言9:10にも「主を恐れることは知恵の初め。聖なる方を知ることは悟ることである」とある。人生において大切な第一の事は神を恐れることと知ろう。聖書に記されている神の命令を、神の命令という理由だけでただ守れば良い。自分の人生を神に委ねれば良い。良い結果を神に期待すれば良い。神を恐れ、神の命令を守れば、神は私達を祝福し、恵みと平安を与える方だから。